カラテペ碑文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 04:03 UTC 版)
カラテペ遺跡にはフェニキア語と象形文字ルウィ語の二言語で記された紀元前8世紀の碑文があり、「モプソス家」(象形文字ルウィ語でmu-ka-sa-(しばしばMoxosと翻字される)、フェニキア語でmpšと書かれる)出身のアダナの王たちの業績を記す。碑文は最初フェニキア語で書かれ、それから象形文字ルウィ語に翻訳された。この碑文は考古学者にとって、象形文字ルウィ語を解読するためのロゼッタ・ストーンの役割を果たした。 碑文の研究が進むにつれ、碑文の作者がこの町の統治者であるアザティワダ(アザティワタとも)であることが判明した。アザティワダは町を創立した人物でもあり、碑文は町の創立を記念している。アザティワダはアダナワ(アダナ)、すなわち古代クウェ王国のアワリク王に従属していると自称している。アザティワタヤ(カラテペ)はアダナワの辺境の町であったようである。 同様な別の碑文であるチネキョイ碑文(英語版)はより最近の1997年に発見された。やはりアワリク王について言及しており、同一人物であるかもしれないが、同じ王朝の別の人物であるかもしれない。
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