カティサークの誕生
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「カティーサーク」の記事における「カティサークの誕生」の解説
カティサークの最初の船主となったジョン・ウィリス ( John Willis ) は1850年代より Lammermuir、Whiteadder といったティークリッパーをティーレースに参戦させてきたが、勝利することは出来なかった。1868年,ジョン・ウィリスは、スコット・アンド・リントン 社に最速のティークリッパーの建造を依頼する。同社のハークレス・リントン ( Hercules Linton ) の設計による船体は高い安定性を有し、他のティークリッパーに比べ荒天時の取り扱いが容易であった。建造費用は35000ポンドであったが、リントンは16150ポンドという安い価格で受注し、採算を考えなかった結果スコット・アンド・リントン社は倒産することとなった。 1869年11月22日、「カティーサーク」はダンバートン ( Dumbarton ) で進水。皮肉なことに前週の11月17日にスエズ運河が開通したところであり、帆船時代は急速に終焉を迎えようとしていた。
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