エデッサ占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:05 UTC 版)
詳細は「エデッサ伯国」を参照 アルメニア人諸侯が治めるキリキア地方を通過したところで、ブルゴーニュ伯ボードゥアンは手勢を率いて十字軍と別れ、ユーフラテス川沿いを北に進んでアルメニア人の多く住む上流部(現在のシリア北部からトルコ南東部の地方)へ向かった。1098年、エデッサ(現在のトルコ領ウルファ)にたどり着いたボードゥアンは統治者ソロスに自らを養子、後継者と認めさせることに成功した。ソロスは正教徒の統治者であり、非カルケドン派であるアルメニア正教を奉ずるアルメニア民衆からは嫌悪されていた。アルメニア人の東ローマに対する反発心も強かった。市民の暴動を引き起こしてソロスを排除すると、ボードワンはエデッサの支配者の座に就き、ここに最初の十字軍国家であるエデッサ伯国が成立した。
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