エディ・チーバーとは? わかりやすく解説

エディ・チーバー(アメリカ)

英語 Eddie McKay Cheever Jr.

1958年1月10日

1974年にヨーロピアン・カートチャンピオン、77年にはヨーロピアンF2でシリーズ2位に輝き、翌78年第3南アフリカGPへスケスからF1デビュー(開幕2戦はセオドールから参戦するDNQ)。2年後オゼッラ復帰する83年にはルノーランキング6位。80年代終盤までさまざまなチーム渡り歩くも、リジェルノー1回ずつ果たした2位入賞がベストリザルト。その80年代からアメリカンレースにもスポット参戦していたが、90年代になってアメリカ活躍の場移しCARTフル参戦。トップコンテンダーのひとりとなったが、優勝を果たすことなくCARTシリーズと袂を分かち新設されIRLコンバート2000年日産エンジンにバイクスピーク・インターナショナルスピードウェイで初優勝もたらしたチームオーナー兼ドライバーとしてIRL参戦している。1998年インディ500優勝者でもある。2003年シーズン前にレースからの引退を表明した。

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

エディ・チーバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 17:41 UTC 版)

エドワード・"エディ"・マッカイ・チーバーJr.Edward "Eddie" McKay Cheever, Jr.1958年1月10日 - )はアメリカ出身のカーレーサー。元F1CARTIRLドライバー。2008年現在、アメリカ人のF1最多出走ドライバーである。F1時代はエディ・チーバーと、またアメリカに戻ってからは、エディ・チーバーJr.と呼ばれることが多い。1998年インディ500をチームオーナー兼ドライバーとして制している。また、弟のロス・チーバーは日本でも活躍したドライバーで、甥のリチャード・アンティヌッチ英語版、息子のエディ・チーバー3世英語版ヨーロッパを中心に活躍しているドライバーである。


  1. ^ 『Racing On』No.271 ニューズ出版、1998年、p.116。
  2. ^ 『Racing On』No.327 ニューズ出版、2000年、p.31。
  3. ^ a b JAF(日本自動車連盟)ライセンスではない外国ライセンスドライバーはポイント対象外。


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