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アマルティア・セン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/26 22:27 UTC 版)

アマルティア・セン。米国国際開発庁(USAID)にて開催された第二回ジョージ・マーシャル講演での姿。2006年12月7日撮影。
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1998年
受賞部門:ノーベル経済学賞
受賞理由:厚生経済学への貢献を称えて

アマルティア・センベンガル語:অমর্ত্য সেন, ヒンディー語:अमर्त्‍य सेन, 英語:Amartya Sen, 1933年11月3日 - )はインド経済学者哲学政治学倫理学社会学にも影響を与えている。アジア初のノーベル経済学賞受賞者。1994年アメリカ経済学会会長。ベンガルで生まれ、9歳の時に、200万人を超える餓死者を出した1943年のベンガル大飢饉でセンの通う小学校に飢餓で狂った人が入り込み衝撃を受ける。またこの頃、ヒンズー教徒イスラム教徒の激しい抗争で多数の死者も出た。これらの記憶や、インドはなぜ貧しいのかという疑問から経済学者となる決心をしたと言われる。宗教は無神論者

目次

人物

コルカタ大学経済学部卒業。1959年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士号取得。本人曰くアダム・スミスカール・マルクスに影響を受け、その後コルカタデリーマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)、オックスフォードハーバードロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)などの大学で教鞭を執った。1997年から2004年まではケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学寮長を勤め、2004年の1月ハーバード大学に戻っている。2003年6月2日、立命館大学第33号名誉博士。2007年、ナーランダ大学を現代のインドに復活させるプロジェクトの議長に就任した。

またセンは経済の分配・公正と貧困飢餓の研究における貢献により1998年ノーベル経済学賞、翌年にはインドの文民に与えられる最高の賞であるバーラト・ラトナ賞を受賞している。

センはインドの東ベンガル州(現在のバングラデシュ)の名門を輩出する一族の出身で、センの母方の祖父は、ヒンドゥー哲学と中世インド文学の名高い権威のある学者クシティモハン・センだった。祖父は、ノーベル文学賞受賞者ラビンドラナート・タゴールの親しい同僚で、センの名付け親はタゴールと言われている。 センの父親アシュトシュ・センは、ダッカ大学(現在、バングラデシュ)で化学を教えていた。母親はアミタ・センで、センは現在の西ベンガル州の学園都市サンティニケタン(インド)で生まれた。センの先祖伝来の邸宅は、東ベンガル州のダッカのワリにあった。 1947年のインド・パキスタン分離独立に伴い、東ベンガル州だった東パキスタンからセンの一家はインドに移住する(その後、1971年に東パキスタンはバングラデシュとしてパキスタンより独立する)。 センの最初の妻は、ナバニータ・デーウ・センで、彼女はよく知られた作家で学者でもあった。アンタラとナンダーナという二人の子供をもうけたが、彼らが1971年にロンドンに移ってからほどなくして、結婚生活は終わりを迎える。 1973年に、センはエヴァ・カラーニと再婚するが、1985年にはエヴァは胃がんにより、死亡する。二人の間には、インドラニとカビールの二人の子供をもうけた。センは一人で、末っ子を育てた。 センの現在の妻エマ・ジョージナ・ロスチャイルドは、第3代ロスチャイルド男爵ヴィクタ-の娘で、経済史学者、アダム・スミスの専門家、ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジの特別研究員(フェロー)、ハーヴァード大学教授である。

功績

センのミクロ経済学の視点から貧困のメカニズムを説明した研究は、経済学に限らず社会科学全体に衝撃を与えた。特に途上国の購買力と飢餓の関係を説明した論文は、尊敬と畏怖をもって経済学者達に迎えられた。なぜならば彼以前は貧困とは単純に生産性の問題だけだと考えられていたが、市場競争における市場の失敗によってもたらされた事を簡潔かつ明瞭に表したからである。またセンは経済学の中でも高度な数学論理学を使う厚生経済学社会選択理論における牽引者である。適応選好や潜在能力(capability ケイパビリティ)アプローチ、「人間の安全保障」などの概念は現在日本でも高校の公民の授業で教えられることがある。

経済学は、「人はいかに生きるべきか」「人間にとっての」という倫理学工学の2つの大きく異なる起源から派生しているとされている。センは、前者を「モチベーションの倫理的な考え方」と呼び、後者を「それを達成するための手段」としている。センは、現状の経済学を批判するが経済学のもつ分析力については否定していないし敬意を払っている。彼がとる分析手法は経済学の一般的なテクニックに根ざしている。

飢饉の分析

彼の著書で示されている、飢饉が食料不足から起こるだけではなく、不平等からも起こるという指摘は、食物を分配するためのメカニズムを基にしている。彼は、1943年にベンガルに飢饉が起こったとき、価格が上昇し、食物を入手するための通貨イギリス軍による獲得、パニック購入、貯蔵、およびぼったくり(その領域の戦争に関連づけられたすべて)を含む要素のため急速に無くなったこと、田舎の肉体労働者と都市のサービス提供者を含む人々の適切な食物供給量が有ったことをデータに提示した。例えば、ベンガルでは飢饉の前よりも食糧生産量があった。多くの社会的経済の要素として減退する賃金や、失業や、上昇する食品価格や、不十分な食品流通などのこれらの問題はあるグループ社会で飢餓につながった。ベンガル飢饉では、食物を買う田舎の労働者のネガティブな状態は民主主義の影響を受けなかった。彼らには社会参加の権限がなく、飢えや滋養の機能、病的状態から逃れることが出来なかった。

一方、センは1943年以降インドでは壊滅的な大飢饉が起こっていないことを指摘している。独立に伴って自由なメディアと民主主義が整備されたことによって、飢餓で最も影響を受ける貧しい人々の声が政府に届きやすくなり、一方で野党やメディアの批判にさらされる民主主義下の政府には彼らの声を聞くというインセンティブが発生するために食糧供給や雇用確保などの政策を行い、飢饉は回避されるとした。センは同時期の中国の大躍進時の大飢饉や、その他の権威主義的な政権のもとでの各国の大飢饉と比較し、飢饉は自然災害などの現象よりも、飢えを回避するために行動しようという政府が欠如していることがより影響が大きいとしている[1]

厚生経済学

センは、政府が彼らの市民の具体的な能力に対して測定されるべきであると主張する。センは人間の活動の要素を動機づけながら、私利を置いた経済モデルへの挑戦を取り付けた。厚生経済学は地域社会の福祉への効果に関して経済政策を評価しようとする。個人の権利(自由のパラドックスの定式化を含んでいる)に関連するその問題を訴えた彼の有力な専攻論文では、正義と公平さ(多数決原理、および個々の状態の情報の有用性)は基本的な福祉の問題に関する彼らの興味を寄せるために研究者を奮い立たせた。

潜在能力

センのノーベル経済学賞受賞は「厚生経済学・社会的選択」での功績である。しかし、彼の学説の中でもっとも有名な概念は「潜在能力」である。潜在能力とは「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」としている。具体的には、「よい栄養状態にあること」「健康な状態を保つこと」から「幸せであること」「自分を誇りに思うこと」「教育を受けている」「早死しない」「社会生活に参加できること」など幅広い概念である。そして「人前で恥ずかしがらずに話ができること」「愛する人のそばにいられること」も潜在能力の機能に含めることができるとしている。

センは、教育と国民の健康における改善などが、経済成長が達成されるために経済改革に先行しなければならないと主張した。センは経済学は数字だけを扱うのではなく、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではないと主張した。「飼いならされた主婦、あきらめきった奴隷は、ほんの少しの幸せでも満足してしまう」とし、弱い立場の人々が潜在能力を生かし社会参加することを主張している。

人間開発指数

センの潜在能力アプローチを発展させたものが、国際連合開発計画(UNDP)の人間開発指数HDI:Human Development Index)である。HDIは、平均寿命、教育(識字率+就学率)、国民所得(一人当たりGDP)の3つの指標からなっている。最初、センは、1990年にパキスタンの経済学者マブーブル・ハックの提唱した生活の質や発展度合いを示す「シンプルな指標」であるHDIに難色を示した。その理由をセンは、「HDIの平均寿命・教育・国民所得も手段であって、目的そのものではない。目的は、人それぞれ多様なものであり、社会的・文化的背景によって異なる」と述べている。しかし、最終的にはセンも同意し協力メンバーの一人となった。HDIは1993年から国連年次報告「人間開発報告書(HDR)」の中で国連開発計画によって毎年発表されている。現在では、経済中心のGDPに代わる人間性を加味した指標として日本政府も注目している。

2001年1月、センと緒方貞子前国連難民高等弁務官を共同議長に「人間の安全保障委員会」が、日本政府アナン国連事務総長のイニシアティブによって欧米とは別に創設された。同委員会は、2003年6月まで継続し、最終報告書を持って解散した。その後、「人間の安全保障ユニット」として国連人道問題調整部(OCHA)に移行し、日本政府は2006年度までに335億円を供出している。




  1. ^ アマルティア・セン『貧困の克服』 pp.112-114


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