その他の騎士団員(一部)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 01:20 UTC 版)
「金羊毛騎士団」の記事における「その他の騎士団員(一部)」の解説
画像名前(生年)叙任日番号備考 ヴィッテルスバッハ家家長フランツ・フォン・バイエルン(1933年生まれ) 1960年 1262 前ベルギー国王アルベール2世(1934年生まれ) 1962年 1274 叙任当時はリエージュ公 アンドレアス・サルヴァトール・ハプスブルク=ロートリンゲン(1936年生まれ) 1972年 1277 フーベルト・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナの次男 カール・サルヴァトール・ハプスブルク=ロートリンゲン(1936年生まれ) 1972年 1278 テオドール・サルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(フランツ・サルヴァトール大公の三男)の息子 ヴュルテンベルク家家長カール・フォン・ヴュルテンベルク(1936年生まれ) 1975年 1286 オーストリア=エステ大公ローレンツ・フォン・エスターライヒ=エステ(1955年生まれ) 1977年 1290 妻はベルギー王女アストリッド ミヒャエル・コロマン・ハプスブルク=ロートリンゲン(1942年生まれ) 1980年 1296 ヨーゼフ・フランツ大公の四男。駐バチカン・ハンガリー大使エドゥアルト・ハプスブルク=ロートリンゲンの父 ミヒャエル・サルヴァトール・ハプスブルク=ロートリンゲン(1949年生まれ) 1980年 1297 フーベルト・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナの五男 リヒテンシュタイン侯ハンス・アダム2世(1945年生まれ) 1981年 1300 ブラガンサ家家長ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ(1945年生まれ) 1982年 1302 ゲオルク・ハプスブルク=ロートリンゲン(1964年生まれ) 1987年 1306 オーストリア元皇太子オットー・フォン・ハプスブルクの次男 カール・クリスティアン・ハプスブルク=ロートリンゲン(英語版)(1954年生まれ) 1991年 1308 カール・ルートヴィヒ・ハプスブルク=ロートリンゲンの次男 シュヴァルツェンベルク家(英語版)家長カレル・シュヴァルツェンベルク(1937年生まれ) 1991年 1309 チェコの政治家 ヨーゼフ・ハプスブルク=ロートリンゲン(1960年生まれ) 1992年 1310 レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク家家長アロイス・コンスタンティン・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク(ドイツ語版)(1941年生まれ) 1996年 1314 ヴィンディシュ=グレーツ家(ドイツ語版)家長マリアーノ・フーゴ・ツー・ヴィンディシュ=グレーツ(英語版)(1955年生まれ) 2000年 1318 シュターレンベルク家(ドイツ語版)家長ゲオルク・アダム・シュターレンベルク(1961年生まれ) 2001年 1323 シェーンブルク=ハルテンシュタイン家(ドイツ語版)家長アレクサンダー・シェーンブルク=ハルテンシュタイン(1930年生まれ) 2002年 1325 クブラト・サクスコブルクゴツキ(1965年生まれ) 2002年 1326 ブルガリア王国最後の国王シメオン2世の第3王子 ルクセンブルク大公アンリ(1955年生まれ) 2006年 1328 ベルギー国王フィリップ(1960年生まれ) 2008年 叙任当時はブラバント公 リーニュ家家長ミシェル・ド・リーニュ(英語版)(1951年生まれ) 2011年 フェルディナント・ズヴォニミル・ハプスブルク=ロートリンゲン(1997年生まれ) 2011年 ハプスブルク家嗣子 ニコラウス・フォン・リヒテンシュタイン(1947年生まれ) 2011年 リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ2世の三男 フェルディナント・トラウトマンスドルフ(英語版)(1950年生まれ) 2011年 駐プラハ:オーストリア大使、旧伯爵家 ザクセン=ゲッサフェ家(英語版)家長アレクサンダー・フォン・ザクセン=ゲッサフェ(英語版)(1954年生まれ) 2012年 エドゥアルト・ハプスブルク=ロートリンゲン(1967年生まれ) 2016年 ハンガリーの駐バチカン・マルタ騎士団大使 エマヌエル・ツー・ザルム=ザルム(ドイツ語版)(1961年生まれ) 2016年
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