その他の三遊派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 15:00 UTC 版)
旧来の三遊派の系統には当てはまらない人物が本来は三遊派である名跡を継いでいるケースもある。芸術協会の2代目桂小文治一門には、2代目桂小文治の弟子が4代目三遊亭圓遊を襲名し、その弟子が5代目圓遊を引き継いだり、また同じく2代目桂小文治門下の5代目古今亭今輔の弟子が3代目三遊亭圓右の名跡を継いでいるのがその例である。 2代目圓生を初代とする橘家圓蔵の名跡は、6代目(後の6代目圓生)までは三遊派の人物によって受け継がれ、橘家の家号も三遊亭のサブ亭号として使われていたが、その後この名跡は8代目桂文楽門下の4代目月の家圓鏡が一代限りの条件で7代目橘家圓蔵を襲名した。7代目没後、筆頭弟子の5代目月の家圓鏡が名跡を6代目圓生夫人に返還したが、その場で直談判して名跡を譲り受けため、橘家の名は本来の三遊派の系統から離れた。2代目圓生の弟子が初代である橘家圓太郎の名跡も、現在は春風亭小朝の弟子が継いでいる。
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