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かちどき橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/05/07 02:55 UTC 版)
(かちどき橋南詰交差点 から転送)
| かちどき橋 | |
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| 所在地 | 日本 徳島市(中洲町)-徳島市(かちどき橋)間 新町川 北緯34度4分0秒東経134度33分25秒(世界測地系)、北緯34度3分48秒東経134度33分35秒(日本測地系)
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| 長さ | 70.8m |
| 幅 | 30m |
| 形式 | プレストレスト・コンクリート橋 |
| 建設 | 1937-1941年 |
| 橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 | |
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かちどき橋(かちどきばし)は、徳島県徳島市の新町川に架かる橋梁。および近隣の地名である。
- 新町川に架かる全長70.8m・幅員30m(8車線)の橋梁は、徳島市のかちどき橋一丁目と中洲町一丁目(ひょうたん島)とを結ぶ。国道11号(吉野川バイパス)が通る。本項で詳述。
- 徳島市の町名。東富田地区に属しており、かちどき橋一丁目〜かちどき橋六丁目に分かれる。郵便番号は〒770-0939。本項の#かちどき橋一丁目 - 六丁目で詳述。
目次 |
概要
1930年4月に徳島県庁が現在の場所に移転したことに伴い渡船が設置されたが、交通が頻繁に途絶えたことから架橋が計画され、資材を商工省から調達しながら1941年4月に完成した。総工費は186,604円23銭であった。当時の幅員は12mで、2車線の車道と2本の歩道が設置されていた。
名称は、日中戦争において日本軍が連勝していたことに因んでおり、公募により決定された。当初の名称は勝鬨橋であったが、漢字が難しかったことから後に平仮名に書き改められた。なお周囲にある町名や交差点名は、当橋に由来する。
交通の結節点として
吉野川バイパスと徳島南バイパスの供用開始以降、当橋の南詰にある「かちどき橋南詰交差点」は徳島本町交差点と並び徳島県における交通の結節点となり、複数の国道の起終点となった。徳島県を南北に向かう交通が集中するため日常的に渋滞が発生し、ピーク時の旅行速度は13.5km/hと著しく遅い[1]。なお、当橋の北詰め(中洲町一丁目)における1999年の交通量は、統計によると78,713台/日であった[2]。
- かちどき橋南詰交差点
- 当橋の南詰に所在。多くの標識や道路地図などでは国道11号・国道55号の起点、国道28号(11号重複)・国道195号(55号重複)の終点を南側にある県庁前交差点(かちどき橋交差点、後述)であるかのように示しているが、実際の起終点は当交差点である。
- 県庁前交差点
- 当橋の南方約100mに所在。当橋にちなみ、かちどき橋交差点とも呼ばれる。県道120号徳島小松島線起点および、県道136号宮倉徳島線の終点であるほか、国道55号・国道195号が通過する。
- 1994年10月21日、世界で2番目の事例として当交差点にLED式信号機が設置された[3]。青色LEDを開発した日亜化学工業が徳島県に本社を置いており、同社から設置に向けた全面協力が得られたことに加え、付近に徳島県警察本部が立地していることから、テストケースとして最初期に設置されたものである。なお、徳島県はLED式信号機の普及率が他都道府県に比べて著しく高い[4]。
歴史
- 1930年 - 渡船が設置される。
- 1937年 - 架橋構想がなされる。
- 1938年 - 着工する。
- 1939年 - 名称を公募する。
- 1941年 - 供用を開始する。
- 1968年 - 拡幅がなされる。
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- ^ 四国横断自動車道 阿南四万十線 阿南〜徳島東 再評価 (PDF) - 四国地方整備局(2011年3月12日付、2012年5月7日閲覧)
- ^ 平成22年度道路交通センサス 一般交通量調査 (PDF) - 国土交通省(2012年5月7日閲覧)
- ^ 『朝日新聞』1994年10月22日 大阪朝刊27面。なお世界初の事例は1994年10月13日、愛知県名古屋市の市役所北交差点・広小路久屋東交差点へ設置されたものである。 ※参考:世界で最初に点灯した3色LED信号灯器 (PDF) - 三共高分子(2012年5月7日閲覧)
- ^ 『徳島新聞』2005年8月19日 夕刊3面
- ^ 2009年12月現在、徳島県の調査による。
- 1 かちどき橋の概要
- 2 かちどき橋一丁目 - 六丁目
- 3 参考文献
固有名詞の分類