おそるべき君等の乳房夏来る
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季 節 | 夏 |
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評 言 | 昭和二十年から二十二年までの作品。 戦後の混乱を経て時代が大きく変わり、いままで抑圧されて慎ましさを求められた女性が夏へ向けて薄着となった。そして街には乳房のかたちが鮮やかに見える女性のさっそうと歩く姿を見掛けるようになった。 敗戦後、男性がすっかり自信を失いかけているとき、自由を手にした若い女性たちの胸を張って歩く姿に、三鬼は、乳房に焦点をあてて「おそるべき」と詠んでいる。「夏来る」という生命感と乳房の生命感とをぶつけることで、その時の驚きが伝わってくる。いまでは当たり前のことのようだが、それまで普通の女性は乳房を誇示することはなかった。(子育て中の女性は人前でも平気で授乳をしていたが) 三鬼は、大正から昭和初期にかけて新興俳句、モダニズムのもっとも良い部分を吸収した作家の一人といえよう。新興俳句運動に参画し、自らも独自な生き方をした。 美女病みて水族館の鱶に笑む など、三鬼の女性はどちらかといえば退廃的な女性である。 しかし、掲句は21世紀の現代にも通じる大らかな作品。いま街にはお臍まで出した娘たちがあふれている。もし三鬼がこの時代を見たらどのような俳句を作るだろうか。三鬼のことだから、ちょび髭を撫でながら「いやあ、いい時代になったものだ」と、目尻を下げて喜ぶかも知れない。 |
評 者 | |
備 考 |
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