「鵯越の逆落とし」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 09:21 UTC 版)
「多田行綱」の記事における「「鵯越の逆落とし」について」の解説
源義経の軍功として有名な「鵯越の逆落とし」については、正確な場所やその有無などを巡って様々な説が唱えられてきたが、鵯越は一ノ谷から東に約8kmの位置に存在していることに加え、『玉葉』や『愚管抄』の記述においても義経が一ノ谷を攻撃したと明記されていることなどから、鵯越から攻撃した別働隊とは、実は山方から攻め寄せたとされる行綱の軍であり、これが後に義経の軍功とすり替わったとする見方もある。 後世に義経の軍功として伝えられることとなった原因としては、戦後に京で義経自身が搦手軍の総大将として一ノ谷合戦の経過を語っていることや、行綱のその後の追放・没落などでその功績が無視されていったことが挙げられている。なお、一ノ谷および鵯越の双方どちらにも急峻な坂は存在しておらず(一の谷は崖地帯)、逆落としの有無については疑問視する声が大きい。
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