「勇気」と「知恵」2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 03:30 UTC 版)
「プロタゴラス (対話篇)」の記事における「「勇気」と「知恵」2」の解説
ソクラテスは、以上を踏まえた上で、「勇気」の話に戻る。ソクラテスは、「勇気のある人」は、「恐ろしいもの向かう」のか、それとも「恐ろしくないものに向かう」のか問う。プロタゴラスは、前者は先の議論で退けられていると答える。ソクラテスは、それでは「勇気のある人」は、「恐ろしくないものに向かう」のであり、この点において、「臆病な人」と同じところに向かうと指摘。 プロタゴラスは、これを否定し、「戦争」を例に出す。「勇気のある人」は戦争に行くが、「臆病な人」は行かないと。ソクラテスは、この場合の「戦争」とは「立派」であり、「善い」行為なのではないかと指摘。プロタゴラスは、同意する。 ソクラテスは、「立派」で「善い」行為なら、「快い」ことなのではないかと指摘。プロタゴラスは、先の議論に従えばそうなると同意。ソクラテスは、では「臆病な人」は、それがより「立派」で「善い」ことで「快い」と知りながら、向かわないことがあうのか問う。プロタゴラスは、先の議論に従えばそうならないと否定。 ソクラテスは、では「臆病な人」を「臆病」たらしめているのは、「無知」であり、反対に「勇気」とは「恐ろしいものと恐ろしくないもの」を見分ける「知恵」なのではないかと指摘。プロタゴラスも、渋々認める。 ソクラテスは、プロタゴラスは今でも先に主張したように、「「無知」でありながら、「勇気」を持った者」がいると考えるのか問う。プロタゴラスは、降参してそれを否定する。
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