潭廣院 概要

潭廣院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/16 08:16 UTC 版)

概要

永禄7年 (1564年)に開創された。

一時期無住になった潭廣院から薬師如来座像、聖観音菩薩立像、地蔵菩薩立像が曽屋村 瑠璃光山・慈眼寺に移され、以来曽屋村だけなく、旅行く商人、職人等が祈願する姿が伝えられ、相模薬師第17番として栄えた。

新編相模国風土記稿』曽屋村の項に「薬師堂二 一ハ慈眼寺ノ號アリ西田原村潭廣院持」とある[2]

慈眼寺は長い間住職がなく、地域民に守られてきた。明治時代の廃仏毀釈は曽屋村では激しくなく、それでも寺号を廃止、曽屋薬師堂として明治42年頃まで近くの人たちにより守られてきた。

時移り、曽屋公会堂が秦野市福祉会館に建て替えられたおり曽屋観音堂(薬師堂)に祀られていた諸仏は、地域の人の長い歳月の信仰もあり、中曽屋自治会館に移された。その会館の取り壊しが決まり(2015年4月)潭廣院への里帰りとなった。

潭廣院は薬師如来座像、聖観音菩薩立像、地蔵菩薩立像諸仏の里帰りに合わせ本堂内に宮殿を築造し厨子2基を安置し(2021年1月)、明年寅年の12年に一度のご開帳の準備を整えている。

本寺・末寺

  • 本寺:相州鎌倉郡玉縄村龍宝寺[1]
  • 末寺:相州曽屋村瑠璃光山・慈眼寺(開山分銀良全)

アクセス

  • 公共交通機関を使う場合、小田急線秦野駅 から羽根行き神奈川中央交通バス、上宿会館前下車、 バス停から徒歩3分。車を使う場合県道705号線

脚注

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参考文献




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