大正の玉手箱事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 07:00 UTC 版)
ダライ・ラマ13世に託された大蔵経写本カンギュルをめぐり、慧海は東京帝国大学に贈られたものと主張したのに対し、青木は自身が所属する西本願寺に贈られたものと主張、対立した。慧海は写本とともに西本願寺法主であった大谷光瑞にあてた小箱を託されており、真の帰属先を握る可能性がある小箱に準えて、慧海が自ら「大正の玉手箱」と称したとされる。
参考文献
- 龍谷大学所蔵青木文教師収集資料について (三谷真澄)
- 1 大正の玉手箱事件とは
- 2 大正の玉手箱事件の概要
- 大正の玉手箱事件のページへのリンク