在外父兄救出学生同盟 在外父兄救出学生同盟の概要

在外父兄救出学生同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 23:41 UTC 版)

北朝鮮潜入の記録

同盟員の中には、単身朝鮮北部に渡り、金日成本人に在朝鮮日本人の窮状を直訴した者もいる。金日成は後年、「金日成全集」に「日本『在外父兄救出学生同盟』成員に行った談話」として、このことを記している。

  • 1946年5月15日 東京を出発。
  • 1946年5月26日 釜山に到着。
  • 1946年5月27日 京城に到着。
  • 1946年5月29日 38度線を越境し北へ。
  • 1946年6月1日 平壌に到着。
  • 1946年6月3日 金日成との面会に成功。「今後もソ連軍から特別の命令が出ない限り、日本人の帰還を認めるだろう」の言葉を得た。
  • 1946年6月11日 崔庸健保安局長との面会に成功。「今までのような危険な脱出ではなく、より安全な方法をもって君たちの父兄を」の言葉を得た。
  • 1946年6月12日 海州に到着。
  • 1946年6月13日 38度線を越境し南へ。
  • 1946年6月17日 京城に到着。

参考文献

  • 『在外父兄救出学生同盟(毎日ノンフィクション)』(毎日新聞社編 1968年)
  • 『朝鮮終戦の記録(資料篇第2巻)』(森田芳夫、長田かな子 1980年)

関連項目




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