モスクワ大火 (1547年) モスクワ大火 (1547年)の概要

モスクワ大火 (1547年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 14:54 UTC 版)

火事の後に起きた暴動

損害

火事により約8万人が転居を余儀なくされ、死者は2,700から3,700(子供を除く)とされた[2]。生存者でも貧困になった者が数多くいた。クレムリンの生神女就寝大聖堂にも延焼したため、モスクワ府主教マカリイ英語版はクレムリンの壁の裂け目から救出され、縄でモスクワ川まで運ばれた。彼は負傷した後も16年間生きたが、傷が全快することはなかったという[1]

責任の追及

モスクワ人は大火の責任がイヴァン4世の母方の親族であるグリンスキー家ロシア語版にあると考えた。大火の後に暴動ロシア語版がおき、生神女就寝大聖堂で慄いて動けなかったマカリイの前にユーリー・グリンスキーロシア語版石打ちで処刑された。その兄弟のミハイル・グリンスキーロシア語版リトアニアへ逃げようとしたが失敗、彼の母でイヴァン4世の母方の祖母であったアンナ・ヤクシッチロシア語版は魔術で火事を引き起こしたと噂された[2]。暴徒たちはアンナの身柄を引き渡すようイヴァン4世に要求したが拒否された。

暴動の結果、グリンスキー家は失脚し、イヴァン4世の権力が強化された。

参照項目

参考文献

  • Аванта: Российские столицы. Москва и Санкт-Петербург (2001) (ISBN 5-8483-0041-0).
  • Аванта: История России (1996) (ISBN 5-86277-003-8).

  1. ^ a b Isabel de Madariaga, Ivan the Terrible. First Tsar of Russia (New Haven: Yale University Press, 2005), p. 61.
  2. ^ a b Madariaga, Ivan the Terrible, p. 62.


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