シーザー・ロドニー (独立宣言署名者)
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死と遺産
ロドニーは1784年6月26日セントジョーンズハンドレッドの自家「ポプラ・グラブ」で死んだ。「バイアリー」の家族墓地に埋葬されたが、その正確な場所が分からなくなった。ドーバーの聖公会墓地にはロドニーの遺骸があるとかって信じられていた場所に記念碑がある。
ジョン・アダムズは、喘息や顔に皮膚ガンを患っていたロドニーを評して、「世界でも最も異様な風貌の男、背が高く痩せて、アシのように細く、顔色が青白い。彼の顔は大きな林檎よりも大きくなく、その顔つきで火の様な感覚と精神、ウィットとユーモアがあった。」と言った。顔のガンは長年大きな不快の原因となり、醜くしていたのでしばしば緑で絹のスカーフを巻いて隠していた。グッドリッチはロドニーの性格を「極めて誠実であり、純粋な愛国心を持っていた。必要な時は喜んで公共のために個人的な利益を犠牲にした。良質なユーモアと活発さでは特に際立っていた。その寛大さ人間の鑑のようであった。」と要約した。
ロドニーとその前任者ジョン・マッキンリーは共に軍隊経験はあったが、ロドニーの拠って立つ基盤は正反対のものであった。マッキンリーがアルスター・スコッチでニューキャッスル郡の長老派教会員であり、政治的にはデラウェア下流郡のコート党に組していたのに対し、ロドニーは王党派の強い州南部の聖公会郷士の一員であり、政治的には独立を求めるカウンティ党と組んだ。その個人的能力と組み合わせることで、独立戦争時代に大きく分裂していたデラウェアをうまく引っ張っていく要素となった。
デラウェア州にはロドニーの名前に因む場所が多くある。カムデンのシーザー・ロドニー高校、ウィルミントン市の中心広場であるロドニー広場、デラウエァ大学の様々な建物などである。ロドニー広場は乗馬姿のロドニー像があり、アメリカ合衆国議会議事堂国立彫像ホール・コレクションに飾られる州を代表する彫像はジョン・クレイトンと共にロドニーの大理石像がある。1999年に鋳造された50州25セント硬貨のデラウエァ州版裏面には、独立宣言の裁決にデラウェアの表を投じに馬でフィラデルフィアに向かうロドニーの姿が圧倒的な支持を集めて選ばれた。
- ^ デラウェア植民地議会が休会中だったので、この代議員は非公式に選ばれた。
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