グアダルーペの聖母 (メキシコ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 14:40 UTC 版)
グアダルーペ寺院
ディエゴが聖母を見たメキシコ市近郊のテペヤク(テペヤックとも)の丘には巨大なグアダルーペ寺院(西: Basílica de Nuestra Señora de Guadalupe)が建てられた。 グアダルーペの聖母像は長い年月に渡り聖堂に掲げられているが、全く色褪せしていない。1785年に清掃員が額縁の汚れを落とす際、誤って硝酸をかけてしまったが、マントの部分は無事で薄く染みができた程度であった。1921年には教会の強い影響力を弱体化させる目的で、メキシコ大統領府の職員ルシアーノ・ペレス・カルビオが聖母像の真下で爆弾を爆発させた。祭壇が破壊されたが、聖母像は無傷であったという[10]。
近年の調査では、マントの聖母像の瞳部分にはディエゴとおぼしき人物が写っていると主張する人がいる。
脚注
参考文献
- 落合一泰 著「第4章 先住民社会・文化の再編成」、増田義郎、山田睦男 編『ラテン・アメリカ史 1』山川出版社〈新版世界各国史 25〉、1999年8月、104-130頁。ISBN 978-4-634-41550-8。
- 国本伊代『メキシコの歴史』新評論、2002年4月。ISBN 978-4-7948-0547-8。
- グリュジンスキ, セルジュ『アステカ王国 文明の死と再生』斎藤晃訳、創元社〈「知の再発見」双書 19〉、1992年9月。ISBN 978-4-422-21069-8。
関連項目
注釈
出典
- ^ 国本 (2002) で確認した表記。
- ^ 落合 (1999) で確認した表記。
- ^ グリュジンスキ (1992) で確認した表記。
- ^ a b グリュジンスキ (1992), p. 121.
- ^ a b 落合 (1999), p. 127.
- ^ a b 国本 (2002), pp. 81-82.
- ^ “A short history of Tonantzin, Our Lady of Guadalupe” (英語). Indian Country News. 2019年3月20日閲覧。
- ^ “アメリカ大陸の保護者、グアダルーペの聖母の祝日、教皇によるミサ”. www.archivioradiovaticana.va. 2021年5月18日閲覧。
- ^ “生涯”. opusdei.org. 2021年5月18日閲覧。
- ^ 「聖母マリア」『ナショナル ジオグラフィック日本版』日経ナショナル ジオグラフィック社、2015年12月。p. 32-55.(p. 49-51.)
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