ウラジーミル・ノロフ ウラジーミル・ノロフの概要

ウラジーミル・ノロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/27 14:20 UTC 版)

ギリシア外相ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(右)と会談した際の写真(2009年)

経歴

ブハラ州出身。1976年、ブハラ国立教育大学を卒業。

  • 1978年~1982年 - ブハラ州執行委員会内務局刑事捜索監察官
  • 1982年~1983年 - ブハラ市テクスチリシク地区内務課刑事捜索課長
  • 1983年~1985年 - ソ連内務省アカデミーの聴講生
  • 1985年~1988年 - ブハラ州内務局監察課副課長
  • 1988年~1990年 - ソ連内務省アカデミー大学院生
  • 1990年~1992年 - ブハラ州内務局刑事捜索局長
  • 1992年~1995年 - 大統領府行政・法務問題担当専門官、顧問
  • 1995年~1996年 - 内務次官、内務第一次官
  • 1996年~1998年 - 大統領国家顧問
  • 1998年~2003年 - 駐独非常全権大使
  • 2003年~2004年12月29日 - 外務第一次官
  • 2004年12月29日 - 駐ベルギー非常全権大使
  • 2006年~2010年 - 外務大臣(1回目)
  • 2022年9月~12月 - 外務大臣(2回目)
  • 2022年12月30日~ - 中央アジア国際研究所(MICA)所長

2022年2月に開始されたロシアによるウクライナ侵攻に関連し、当時外務大臣だったアブドゥルアズィーズ・カミロフウクライナ東部ドンバス地域のロシアによる支配を認めていないと発言し、直後に病気療養として表舞台から姿を消し数週間後には辞任を表明。4月よりノロフが外務大臣代行を務め、同年9月9日には正式に外務大臣に任命され2回目の就任となった[1]。しかい同年12月30日には中央アジア国際研究所(MICA)所長に任命され、外相は退いた[2]

パーソナル

妻帯、3児を有する。法学科学準博士。

外部リンク


公職
先代
アブドゥルアズィーズ・カミロフ
ウズベキスタン外務大臣
2022
次代
バフティヤール・サイドフウズベク語版
(代行)
先代
エリョール・ガニエフ
ウズベキスタン外務大臣
2006 - 2010
次代
エリョール・ガニエフ
外交職
先代
ラシド・アリモフ
上海協力機構事務総長
2019 - 2021
次代
張明



「ウラジーミル・ノロフ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウラジーミル・ノロフ」の関連用語

ウラジーミル・ノロフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウラジーミル・ノロフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウラジーミル・ノロフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS