「相模・北条氏」を解説文に含む見出し語の検索結果(11~20/137件中)
安房・里見氏臣。1564年相模・北条氏との第2次国府台合戦において、乗馬を射られて徒歩となっていた当主義弘を自分の乗馬に乗せ、無事上総まで逃がした。その場で義弘を逃がした後、義弘の影武者となって敵中に...
安房・里見氏臣。1564年相模・北条氏との第2次国府台合戦において、乗馬を射られて徒歩となっていた当主義弘を自分の乗馬に乗せ、無事上総まで逃がした。その場で義弘を逃がした後、義弘の影武者となって敵中に...
○定助 政長 紀伊守◇父:山角定吉 兄:山角康定 子:山角政定、盛繁、長定、正勝 山角定吉三男。相模・北条氏の評定衆。小田原開城後、当主氏直に従い高野山に登る。翌年氏直が死ぬと、井伊直政に召し出され相...
○定助 政長 紀伊守◇父:山角定吉 兄:山角康定 子:山角政定、盛繁、長定、正勝 山角定吉三男。相模・北条氏の評定衆。小田原開城後、当主氏直に従い高野山に登る。翌年氏直が死ぬと、井伊直政に召し出され相...
○右馬助 式部少輔◇父:浅利伊予守虎在 甲斐・武田氏臣。飯富虎昌と同じく“赤備え”として有名であった。相模・北条氏攻めの帰路、三増峠にて猛追撃を受け苦戦、本隊を退避さすため、殿として踏みとどまり戦死し...
○右馬助 式部少輔◇父:浅利伊予守虎在 甲斐・武田氏臣。飯富虎昌と同じく“赤備え”として有名であった。相模・北条氏攻めの帰路、三増峠にて猛追撃を受け苦戦、本隊を退避さすため、殿として踏みとどまり戦死し...
○康実 太郎左衛門尉 上野介◇子:清水正次 相模・北条氏の評定衆として軍務内政に参画。伊豆衆筆頭。豊臣秀吉の小田原征伐を前に、伊豆・下田城主となる。しかし、長宗我部元親、脇坂安治の大水軍の攻撃を受けて...
○康実 太郎左衛門尉 上野介◇子:清水正次 相模・北条氏の評定衆として軍務内政に参画。伊豆衆筆頭。豊臣秀吉の小田原征伐を前に、伊豆・下田城主となる。しかし、長宗我部元親、脇坂安治の大水軍の攻撃を受けて...
○右衛門大夫 安芸守◇父:真壁久幹 養子:真壁房幹 常陸・真壁城主。武勇に優れて、"鬼真壁"として怖れられた。常陸・佐竹氏に従い、太田資正、梶原政景と共に、常陸・小田氏治を小田城より追放。相模・北条氏...
○右衛門大夫 安芸守◇父:真壁久幹 養子:真壁房幹 常陸・真壁城主。武勇に優れて、"鬼真壁"として怖れられた。常陸・佐竹氏に従い、太田資正、梶原政景と共に、常陸・小田氏治を小田城より追放。相模・北条氏...