「弘仁格抄」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/31件中)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 19:23 UTC 版)「弘仁格」の記事における「弘仁格抄」の解説弘仁格抄(こうにんきゃくしょう)とは、弘仁格に...
読み方:こうにんきゃくしき大宝元〜弘仁10年(701〜819)の格と式を集めたもの。格10巻、式40巻。初め藤原内麻呂ら、のち、藤原冬嗣らが編纂(へんさん)。弘仁11年(820)成立。完本は現存せず、...
読み方:こうにんきゃくしき大宝元〜弘仁10年(701〜819)の格と式を集めたもの。格10巻、式40巻。初め藤原内麻呂ら、のち、藤原冬嗣らが編纂(へんさん)。弘仁11年(820)成立。完本は現存せず、...
読み方:こうにんきゃくしき大宝元〜弘仁10年(701〜819)の格と式を集めたもの。格10巻、式40巻。初め藤原内麻呂ら、のち、藤原冬嗣らが編纂(へんさん)。弘仁11年(820)成立。完本は現存せず、...
牡鹿 氏縄(おしか の うじなわ)は、日本の陸奥国胆沢城で843年に軍団の主帳を勤めていた人物。カバネはおそらく連。生没年は不明。解説陸奥国北辺で鎮守府が置かれた胆沢城は、現在の岩手県にある。その城跡...
ナビゲーションに移動検索に移動小田団(おだだん)は、815年から10世紀まで日本の陸奥国に置かれた軍団の一つである。玉造団とともに陸奥国最北の軍団であった。小田郡に置かれたと推定されるが、正確な位置は...
ナビゲーションに移動検索に移動女医博士(にょいはかせ)は、律令制下における女医を養成する医博士で、男性が任命された。概要『続日本紀』、養老6年(722年)十一月甲戌、始めて女医の博士を置く。[...
弘仁格(こうにんきゃく)は、平安時代初期に編纂・施行された格。全10巻。編纂経緯格式編纂の構想は、桓武天皇の頃から存在したが、嵯峨天皇の時代に「造格式所」を設置して、藤原冬嗣を総裁として藤原葛野麻呂・...
名取団(なとりだん)は、8世紀初めから10世紀まで日本の陸奥国(後の陸前国)名取郡に置かれた軍団である。正確な所在地は不明。9世紀以降は胆沢城の鎮守府の守備にあたった。解説軍団制は大宝元年(701年)...
安積団(あさかだん)は、815年から10世紀まで日本の陸奥国に置かれた軍団の一つである。安積郡に置かれたと推定されるが、正確な位置は不明である。歴史陸奥国には8世紀に複数の軍団が置かれたが、安積団がそ...
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「弘仁格抄」の辞書の解説