Zaltair 8800
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 08:07 UTC 版)
Zaltair 8800(ザルテア[注釈 1]8800)とは、1977年にMITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)の名義で発表されたコンピュータの名称である。同年に開催されたコンピュータ・フェアで広告が配布されたが、広告はアップルコンピュータのスティーブ・ウォズニアックによるいたずらであり、そのようなコンピュータは実在しなかった。
- ^ 片仮名表記はウォズニアックやジョブズの伝記の訳書で用いられている表記に従った[1][2]。
- ^ 自伝でウォズニアックは1977年1月だったとしている[3]。
- ^ ウォズニアックは1984年の文章で「Zaltair 150と名付けた」としているが[10]、これはコンピュータ本体ではなく、同機が備えるバスの名前である。
- ^ ウォズニアックはここで「車輪が五つあるレースカーを想像してみてください」「六本の弦があるバンジョーを想像してみてください」といったコピーを考えたとしている[12]。しかし、ビラの現物には、「想像してみてください」を連呼する箇所はあるものの、該当の語句は見当たらない。別の段落に、ソフトウェアのないコンピュータはただの箱であることを比喩的に表現する箇所があり、列挙された比喩の中に「車輪のないレーシングカー」「弦のないバンジョー」がある。
- ^ 別の文献では、「ウォズニアックが持っていた金の大半を投じて」と表現されている[14]。
- ^ ウォズニアックは1984年の文章では20000部だったとしており[10]、別の文献でも20000部とするものがあるが[15]、20000部はApple IIのビラの枚数である[16]。
- ^ ジョブズがビラをいつ、どこで受け取ったのかははっきりしない。自伝の井口訳はこのくだりを「アップルのブースで」「ブースを出て行くしまつだ」としており、フェア会場で起きた事件と取れる記述となっているが[19]、自伝の原文は"at Apple", "had to run out of there"であり、フェア会場での出来事と限定した記述とはなっていない[20]。また自伝にはその翌日が水曜日だった旨の記述があるが[21]、フェアの開催は1977年4月15日(金曜日)から17日(日曜日)までの3日間であり、どの日の出来事だとしても翌日が水曜日になることはありえない。
- ^ この告白の時期についても「4年後か5年後」[10]「6年以上たってから」[9]「8年後」[2]とさまざまな記述がある。
- 1 Zaltair 8800とは
- 2 Zaltair 8800の概要
- 3 出典
- 4 参考文献
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