TA10_(水雷艇)とは? わかりやすく解説

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TA10 (水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 22:45 UTC 版)

TA10は第二次世界大戦時のドイツ海軍水雷艇。元は1936年に就役したフランス海軍ラ・メルポメーヌ級水雷艇「ラ・ポモーヌ」で、1942年12月8日に同級の2隻と共にビゼルトでドイツ軍に捕獲された[1]。一旦はイタリアの手に渡り「FR42」となったが、1943年4月5日にドイツ軍所属となった[2]。ドイツ軍所属となった後トゥーロンで修理を行った[3]。ドイツ艦としてはドイツ式レーダー装備や、20mm機銃搭載がなされている[3]。第3護衛群、次いで第4護衛群に所属した[3]

1943年7月エーゲ海に移る[4]。同年9月23日、イタリア人捕虜を乗せた汽船「Donizetti」を護衛中にロドス島南方でイギリスの駆逐艦「エクリプス」の攻撃を受けた[4]。「Donizetti」は撃沈されて全員死亡[4]。「TA10」も被弾して両舷機が破壊され戦死者5名をだした[5]。「TA10」は沈没は免れロドス島プラソス湾へ曳航されたが[5]、修理不可能のため9月27日(または25日[6])に自沈[7][8]

脚注

  1. ^ 第二次大戦駆逐艦総覧、52-54ページ
  2. ^ 第二次大戦駆逐艦総覧、54ページ
  3. ^ a b c 第二次大戦駆逐艦総覧、77ページ
  4. ^ a b c The German Fleet at War, 1939–1945, p.170
  5. ^ a b 第二次大戦駆逐艦総覧、77ページ、The German Fleet at War, 1939–1945, p.170
  6. ^ Chronology of the War at Sea 1939-1945, p.273
  7. ^ 第二次大戦駆逐艦総覧、52、77ページ
  8. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p.170には、自沈の二日後に空襲で破壊された、とある

参考文献

  • M.J.ホイットレー、岩重多四郎(訳)『第二次大戦駆逐艦総覧』大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
  • Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
  • Vincent P. O'Hara, The German Fleet at War, 1939-1945, Naval Institute Press, 2004, ISBN 1-59114-651-8



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