ナサニエル・ヒル
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ナサニエル・ヒル
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| Nathaniel Hill | |
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ナサニエル・ヒル作、「回復期の病気の少女」 (1883)
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| 生誕 | 1861年 アイルランド、ドロヘダ |
| 死没 | 1930年 ウェールズ、ベトゥス・イ・コエド(Betws-y-Coed) |
ナサニエル・ヒル(Nathaniel Hill、1861年 - 1930年)は、アイルランドの画家である。印象派のスタイルで農村の風景画を描いたが、1890年代後半に絵を描くのを止めた。
略歴
ダブリンの北のドロヘダで生まれた。1877年から1880年まで、ダブリンの美術学校(Dublin Metropolitan School of Art、後のNational College of Art and Design)で学んだ。同時期の学生にはロドリック・オコナー(1860-1940)やウォルター・オズボーン(1859-1903)、ジョセフ・マラシー・カヴァナ(Joseph Malachy Kavanagh: 1856-1918)がいて、彼らと行動を共にし、1881年から1883年までは当時人気のあったベルギーのアントウェルペン王立芸術学院で学んだ。1883年から、オズボーンと共に、フランス・ブルターニュの多くの画家が集まったポン=タヴァンで活動し[1] 、1884年に短期間、イギリスで修行した後、ダブリンに戻った。アイルランドの王立ハイバーニアン・アカデミーの展覧会に出展し、1883年の風景画で2位に入賞した。1884年にハイバーニアン・アカデミーのフェローに選ばれた。
1890年代後半に神経衰弱を病み、絵画を描くのをやめ、実家に戻り、姉妹たちと共に過ごした。その後家族とウェールズに移り、1934年にウェールズ、コンウィのベトゥス・イ・コエド(Betws-y-Coed)で亡くなった[2]。
脚注
参考文献
- "Nathaniel Hill (1861-1934)", 29 January 2000. <http://go.to/Irish> Retrieved 2 August 2006.
- "The Irish Impressionists, Irish Artists in France and Belgium 1850-1914". Julian Campbell. National Gallery of Ireland. 1984
- "Irish Art from Nathaniel Hone to Nano Reid: The Drogheda Municipal Art Collection in Context". Dr Denise Ferran. Highlanes Gallery (Drogheda). 2006
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