ローレンス・レッシグとは? わかりやすく解説

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ローレンス・レッシグ

(Lawrence Lessig から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/27 12:29 UTC 版)

ローレンス・レッシグ
Lawrence Lessig
ETech 2008 で講演するローレンス・レッシグ
人物情報
全名 ローレンス・レッシグ
Lawrence Lessig
生誕 (1961-06-03) 1961年6月3日(65歳)
アメリカ合衆国・サウスダコタ州ラピッドシティ
学問
時代 20世紀 - 21世紀
活動地域 アメリカ合衆国
研究分野 法学
憲法学
サイバー法学
情報法
研究機関 ハーバード大学
スタンフォード大学
シカゴ大学
特筆すべき概念 クリエイティブ・コモンズ
主要な作品 『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』
『コモンズ―ネット上の所有権強化は技術革新を殺す』
『Free Culture―いかに巨大メディアが法をつかって創造性や文化をコントロールするか』
その他多数
主な受賞歴 フリーソフトウェア財団フリーソフトウェア推進栄誉賞
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左:ローレンス・レッシグ。右:ジミー・ウェールズ(オンライン百科事典ウィキペディアの創設者)。2007年ドゥブロヴニクで開かれたiCommons iSummit にて。ウィキペディアは2009年6月にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを採用した。

ローレンス・レッシグ(Lawrence Lessig、1961年6月3日 - )は、アメリカ合衆国の法学者。専門は憲法学及びサイバー法学。ハーバード大学法学教授およびエドモン・J・サフラ財団倫理センター所長。

スタンフォード大学ロー・スクールの教授及び同大学のインターネット社会研究所を歴任。

人物

ペンシルベニア大学ビジネス・スクール、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、イェール大学ロー・スクールで法学を専攻した。専門は憲法学およびサイバー法学。著作権の拡大に対する批判で知られる。

スタンフォード大学に移る前は、ハーバード大学及びシカゴ大学のロー・スクールで教えていた。政治的にはリベラルだとみられているが、非常に保守的なことで知られるリチャード・ポズナー判事とアントニン・スカリア判事のロー・クラークを務めていたこともある。

エルドレッド・アシュクロフト裁判(Eldred v. Ashcroft)で原告のエリック・エルドレッド(Eric Eldred)の代理人を務め、フリー・カルチャー(Free Culture)のコンセプトを打ち出した。また、フリーソフトウェア運動も支持している。フリーソフトウェア財団と自らが設立したクリエイティブ・コモンズの理事を務めている。

ソフトウェア特許がオープンソースとイノベーションの脅威になると予想しており、2002年に行われたOSCONのスピーチではこの話題がおよそ半分を占めた。

2002年には、フリーソフトウェア財団のフリーソフトウェア推進栄誉賞を受賞した。2004年4月よりフリーソフトウェア財団の理事をつとめる。

2009年、ハーバード大学ロー・スクール教授及びエドモン・J・サフラ財団倫理センター所長を務める。

2015年8月11日、クラウドファンディングによる選挙資金100万ドルの獲得を条件として次期米国大統領選挙への立候補を検討すると発表した[1]。

9月6日、民主党6人目の候補として出馬意向を表明した[2]。ABCの番組で「我々は政府が機能していないことを認識すべきだ」と強調した上、選挙資金や選挙権などの政治改革の実現を目指すとし、大統領になって関連法が実現すれば、大統領職を副大統領に譲るとした[2]。しかし副大統領に誰を指名するかについては言及しなかった[2]。

11月2日、2016年アメリカ合衆国大統領選挙からの撤退を表明した[3]。

思想と活動の軌跡

サイバー法と「コードは法である」

レッシグは1990年代後半に登場したサイバー法(cyberlaw)という分野の形成に中心的な役割を果たした[4]。1999年の著書『CODE』(Code and Other Laws of Cyberspace)で示した「コードは法である」(code is law)という命題は、現代の規制理論において最も広く論じられる主張の一つとなった[5]。

レッシグは、サイバースペースは本来規制不可能で自由な空間だとする1990年代の「サイバーリバタリアン」的な見方に異議を唱え、ソフトウェアやハードウェアの構造(アーキテクチャ)そのものが、法と同様に人々の行動を規律する力を持つと論じた[5]。この立場は、サイバースペースも規制の対象となりうるとする「サイバーパターナリスト」の系譜に位置づけられる[5]。

レッシグによれば、現実空間とサイバースペースのいずれにおいても、人々の行動は法、社会規範、市場、アーキテクチャ(コード)という四つの要素によって規律される。この枠組みは「哀れな点の理論」(pathetic dot theory)として知られる[6]。彼は、オンライン環境では特にアーキテクチャによる規制が強力に作用すると指摘し、コードの商業化・私有化が「法の私有化」をもたらす危険を警告して、オープンソース・ソフトウェアの意義を擁護した[7]。

著作権批判とフリーカルチャー

レッシグは2000年代を通じて、著作権保護期間の延長や知的財産権の過度な拡大が、創造性とイノベーションを阻害すると一貫して批判した。エルドレッド対アシュクロフト事件(英語版)では原告側の代理人を務め、ソニー・ボノ著作権延長法の違憲性を最高裁で争ったが、敗訴した。これらの活動を通じて彼は「フリーカルチャー」(Free Culture)という概念を提唱し、自らクリエイティブ・コモンズを共同設立して、その創設理事を務めた[8]。

反汚職及び選挙資金改革への転換

2007年前後、レッシグは著作権やインターネット政策の研究から、政治腐敗(institutional corruption)の問題へと研究の重心を大きく移した[9]。この転換は、インターネット活動家アーロン・スワーツ との対話がきっかけだったとされる。スワーツは、政治の仕組みが腐敗しているかぎり著作権をはじめとする政策改革は実現しないのではないかとレッシグに問いかけ、「学者としてではなく、市民としてあなたの分野だ」と説いたという[10]。

レッシグは、デジタル著作権の問題から離れ政治腐敗の研究に専念すると表明し、当時のテクノロジー政策の専門家を驚かせた[11]。彼は、金銭が政治に及ぼす腐食的な影響に対処しないかぎり、左右いずれの立場の改革も前進しえないと主張した[11]。レッシグは2010年、ハーバード大学エドモン・J・サフラ倫理研究所(Edmond J. Safra Research Lab on Institutional Corruption)の所長として、政治腐敗に関する研究プロジェクトを率い、スワーツもその研究フェローに加わった{{要出典|date=2026年6月。

2013年のスワーツの死後、レッシグはロイ・L・ファーマン記念法学・リーダーシップ教授就任記念講演「Aaron's Laws: Law and Justice in a Digital Age」をスワーツに捧げ、コンピュータ詐欺・不正利用防止法(英語版)に基づく訴追の過剰さを批判した[12]。2014年1月には、スワーツの一周忌に合わせて選挙資金改革を訴え、ニューハンプシャー州を徒歩で縦断する運動を行った[13]。

レッシグは、現代の選挙資金をめぐる腐敗は、賄賂のようなあからさまな「見返り(quid pro quo)」型ではなく、政治家が再選資金の調達に常に追われ、少数の大口献金者に依存せざるをえない構造そのものにあると論じている[11]。こうした問題意識は、著書『Republic, Lost』(2011年)に結実した[11]。

著書

単行本については、最新作であるRepublic, Lostを除き、邦訳されたものが日本で発売されている。

出典

  1. ↑ クリエイティブ・コモンズ提唱者レッシグ教授が米大統領選に出馬意向 クラウドファンディングで資金募る 2015-08-12 ITmedia
  2. 1 2 3 朝日新聞2015年9月7日夕刊第2面「民主党指名争い6人目出馬意向」
  3. ↑ “米大統領選、ハーバード大教授が撤退 民主指名争い”. 日本経済新聞. 2015年11月3日. 2016年3月12日閲覧.
  4. ↑ Mayer-Schönberger, Viktor (2008). “Demystifying Lessig” (英語). Wisconsin Law Review 2026年6月27日閲覧。.
  5. 1 2 3 “Code as Law” (英語). iResearchNet. 2026年6月27日閲覧。
  6. ↑ “Recordism: A social-scientific prospect of blockchain” (英語). arXiv. 2026年6月27日閲覧。
  7. ↑ “About the Project: Code and Regulation” (英語). Stanford University. 2026年6月27日閲覧。
  8. ↑ “Code as Law: How Platforms Are Redefining Privacy Rights” (英語). Usercentrics. 2026年6月27日閲覧。
  9. ↑ “Lessig remembers Swartz” (英語). Harvard Gazette (2013年2月20日). 2026年6月27日閲覧。
  10. ↑ “Lawrence Lessig, Aaron Swartz, and the Super PAC to end Super PACs” (英語). Aaron Swartz Day. 2026年6月27日閲覧。
  11. 1 2 3 4 “How Aaron Swartz Helped Inspire the Super PAC to End All Super PACs” (英語). Vice. 2026年6月27日閲覧。
  12. ↑ “Lessig remembers Swartz (video)” (英語). Harvard Law School. 2026年6月27日閲覧。
  13. ↑ “Aaron Swartz Remains a Symbol for Internet Activists” (英語). NBC News (2014年1月19日). 2026年6月27日閲覧。

関連項目

外部リンク

テキスト
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