ガエタノ・ヴェストリス
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ガエタノ・ヴェストリス(Gaetano Apolline Baldassarre Vestris、1729年4月18日 - 1808年9月23日)は、イタリア出身でパリ・オペラ座を中心にヨーロッパの各地で活動したバレエダンサー・振付家・バレエ指導者である[1][2][3]。18世紀から19世紀にかけて著名なバレエダンサーや俳優を輩出したヴェストリス家の一員であり、息子のオーギュスト・ヴェストリスと並んで「舞踊の神」(le dieu de la danse)と呼ばれるほどの人気と実力を誇ったダンサーであった[4]。
- ^ バレエ・ダンス版誕生日カレンダー 2011年7月1日閲覧。
- ^ 生年については、1728年説もある。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『オックスフォード バレエダンス辞典』72頁。
- ^ a b c 『オックスフォード バレエダンス辞典』71頁。
- ^ ヴェストリス家は、ガエタノ、テレーザ、アンジョーロ、オーギュストの他にも、オーギュストの息子アルマンド(Auguste Armand Vestris)やアルマンドの従兄弟シャルル(Charles Vestris)などがバレエダンサーとして名を残している。
- ^ テレーザはその美貌で名高く、ウィーンで舞台に立っていた時には、音楽と芸術の保護者として知られた貴族エステルハージ・パール・アンタル(en:Paul II Anton Esterházy)の愛人となり、時の女帝マリア・テレジアの不興を買って追放された。1751年にパリ・オペラ座で舞台デビューしたが、弟のガエタノと当時のパリ・オペラ座首席振付家ジャン=バルテルミー・ラニが起こした諍いの原因となったため、一時的に舞台を去った。1755年にオペラ座へ復帰を果たし、その後は1766年までソリストとして出演した。
- ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』72頁。
- ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』72頁-73頁。
- ^ 起承転結を持つ演劇的な物語(たいていの場合は悲劇である)を舞踊やマイムによって表現することを目的としたバレエのことを指す。
- ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』404頁。
- ^ もう1人は、バレエ『ラ・フィユ・マル・ガルデ』の作者として知られるジャン・ドーベルヴァルだった。
- 1 ガエタノ・ヴェストリスとは
- 2 ガエタノ・ヴェストリスの概要
- 3 参考文献
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