飯田延太郎 (実業家)とは? わかりやすく解説

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飯田延太郎 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 04:30 UTC 版)

飯田 延太郎(いいだ のぶたろう、1873年明治6年〉5月2日[1] - 没年不詳)は、日本の実業家

経歴・人物

飯田久助の長男として、福岡県穂波郡、のちの嘉穂郡桂川村(現桂川町)で生まれた[1][2]。1896年福岡県立尋常中学修猷館を経て[3]、1898年中央大学を卒業[1]

1899年弁護士試験に合格し[4]東京地方裁判所所属弁護士を経て[1]、独立開業する[4]

1910年弁護士を廃業して玄洋社に入り、鉱山業に従事。1911年北海道炭山を三井鉱山に、次いで1915年美唄炭山三菱合資に売却して、巨利を得て実業界に進出[5]。南満洲太興を設立して代表社員となり、天図軽便鉄路、図們鉄道、弓張嶺鉄山、天宝山銀銅鉱などの事業を経営[6]新登川炭鉱社長、神国生命保険社長、有隣生命保険社長[1]萬朝報社長[4]なども務めた。

脚注

  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第5版』(人事興信所、1918年)イ-71頁
  2. ^ 『大日本人物史 : 銀婚記念 1925年』大日本人物史編纂社、1925年、い67頁。
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員2頁
  4. ^ a b c 『人事興信録 第7版』(人事興信所、1925年)イ-70頁
  5. ^ 『人事興信録 第10版』(人事興信所、1934年)イ-101頁
  6. ^ 『人事興信録 第13版』(人事興信所、1941年)イ-95頁



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