近藤政徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/17 00:48 UTC 版)
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近藤 政徳(こんどう まさのり、延宝4年(1676年) - 享保14年1月7日(1729年2月4日))は江戸時代の旗本。
旗本近藤重信の次男。母は北条氏重の娘、正室は朽木稙昌の娘。子に政共がいる。幼名は虎之助。通称は左京、宮内。官位は従五位下、淡路守。
貞享4年(1687年)9月6日、将軍徳川綱吉に拝謁、元禄6年(1694年)12月11日に家督を相続する。元禄7年(同1694年)閏5月7日、中奥の小姓となり、正徳元年(1711年)4月1日、定火消となる。享保5年(1720年)7月28日、百人組頭に転じ、享保9年(1725年)12月15日、御小姓番頭となる。享保14年(1729年)没。享年54。法名は宗淳。
出典
- 「寛政重修諸家譜 巻第846」
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