矢田廃寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 矢田廃寺の意味・解説 

矢田廃寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/11 04:38 UTC 版)

 矢田廃寺
所在地 岐阜県美濃加茂市前平町3-45
加茂自動車学校
位置 北緯35度27分15.4秒 東経137度00分26.1秒 / 北緯35.454278度 東経137.007250度 / 35.454278; 137.007250座標: 北緯35度27分15.4秒 東経137度00分26.1秒 / 北緯35.454278度 東経137.007250度 / 35.454278; 137.007250
創建年 白鳳時代?
テンプレートを表示

矢田廃寺(やたはいじ)は岐阜県美濃加茂市前平町に所在した白鳳時代から奈良時代にかけて存在したとみられる寺院跡である。

出土物から、白鳳時代に建立されたとみられる。全面的な発掘は行われておらず、寺院の規模は不明。出土した軒丸瓦の種類が1種類のみであることから、存在していた期間はさほど長くなかった可能性がある[1]。地元の伝承によれば七堂伽藍を備えた寺院があったが、廃寺となった後に本尊が新長谷寺に移されたという。近隣に鴨県主との関係があるとみられる縣主神社があることから、鴨県主の氏寺であった可能性も指摘されている[1]

昭和33年(1958年)に加茂自動車学校建設の際に川原寺式の軒丸瓦(鐙瓦)、丸瓦(35cm×10、35cm×13cm)、平瓦(35cm×30cm)、鴟尾瓦ならびに奈良時代の須恵器が発見したことで見いだされた[2]。地元の口碑によればかつては1メートル四方の礎石とみられるものがあったという[3]。全国遺跡地図には新撰美濃志に記された蜂屋庄の安楽山東永寺跡として記されている[3]

脚注

  1. ^ a b 美濃加茂市史 通史編 p.180
  2. ^ 美濃加茂市史 通史編 p.176
  3. ^ a b 美濃加茂市史 通史編 p.178

参考文献

  • 美濃加茂市 『美濃加茂市史 通史編』 昭和55年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  矢田廃寺のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

矢田廃寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



矢田廃寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの矢田廃寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS