森迫親正とは? わかりやすく解説

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森迫親正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/04 03:56 UTC 版)

 
森迫親正
時代 戦国時代
生誕 天文4年(1535年
死没 天文20年(1551年)8月
別名 三十郎
主君 大友義鎮
氏族 森迫氏
父母 父:森迫鎮富
兄弟 親正、正則

森迫 親正(もりさこ ちかまさ)は、戦国時代武将大友氏の家臣。

生涯

天文4年(1535年)、大友義鎮の家臣・森迫鎮富の長男として誕生。

天文20年(1551年)8月[1]、大友義鎮が肥後国の合志常陸介を攻めた際従軍し、首を獲るがその後討ち死にした。享年17。この時兜の中に短冊を忍ばせていたので、常陸介がこれを見ると「命より 名こそ惜しけれ 武士(もののふ)の 道にかふべき 道しなければ」とあり、感じ入った常陸介はその首と屍を大友軍に送り返した。

のちに愛国百人一首に歌が収められた。十七歳での採録は最年少である。

脚注

  1. ^ 大日本野史』巻百二十五



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