平井公寿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/05/09 10:27 UTC 版)
平井 公寿(1758年 - 1821年)名が公寿。字は有年又は東野。俗名は甚兵衛隠居して健蔵と称した。
天性英発で学を好み、詩文に巧であった。中年で早くに貞誠に家を譲り、自ら趣味に生きた。
逸話
- 文化13年、坂祝岩屋観音に、尾州藩士とともに木曽川を詠んだ碑を遺している。
- 「阿地無山秀、何処無水流、借門東西客、有此山水不」美濃梶田 源 公寿 題
- それから37年後、嘉永6年5月この地を通った吉田松陰は、碑文を読んで、次のように書き残した。
- 「子は誠に濃人なり。なんぞ東西を識らざる。」
参考文献
- 富加町史
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