大西青年義塾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/25 19:38 UTC 版)
大西青年義塾(おおにしせいねんぎじゅく)は、日本の政治団体。別名大西組(おおにしぐみ)。
概要
千葉、島根、広島、愛媛、 鹿児島に支部を持ち国家神道を信奉する椿神社(神道系 県敬神婦人会 会員470名)に拠点を置く神道右翼系の椿青年会が椿青年団と改称された平成10年頃椿青年団との協賛団体である行動右翼系の至誠会の後援団体として設立された。平成11年になり政治団体 至誠会が上部組織の至誠会と共に愛媛県より指定暴力団となったため松山市石井の事務所が平成11年2月の立退きとなり至誠会舎弟の大西俊一が設立し椿青年団の協賛団体とした政治団体が政治団体 大西青年義塾である。しかし、政治団体大西青年義塾の最大の後援者は愛媛県議会議員数名だったが平成13年になりに伊方町での汚職や土井町川内町へのカドミュウム等を含有する産業廃棄物の不法投棄などを議員や企業側に糾弾し政治団体 大西青年義塾を結成し示威行動に出たが愛媛県松山市星ヶ丘町での発砲事件、愛媛県松山市来住町での銃刀法違反事件などの抗争事件に発展し愛媛県より暴力団と指定され平成13年頃より今治市や川内町での支持者が増えた事も受け政治団体大西青年義塾を改編し単に大西組と名乗るようになった。
なお至誠会とは山口組系暴力団である誠隆会、現在の二代目誠隆会の前身である。
国家神道については神仏合体という形で戦時中の太政官府と大日本帝国陸軍が協議の上で調整したものであるがGHQの神仏分離政策などで亡くなったとされている一方で、現在も墓地のある神社などは存在している。神仏合体が継続している場合△◇神社や▽◇寺などとは別に◇◇院などと名称を冠する宗教法人も多数ある。また、愛媛県、熊本県などでは国家神道を復活させようとする動きが80年代から活発にあるが、これが、神道右翼(神社名の青年会)だけでなく行動右翼(地名または人名の義塾行動隊など)や極道の活動と混同され神道右翼の中でも行動規範などについて誤解を受ける事もあるため、旧体制どおり神社名の神道右翼は奉仕活動が主たる目的であるため混同を避けるため宮司が監督管理し指導する事となる。
神道右翼(奉仕の精神・誠実・友愛)
行動右翼(仁義・任侠・道理)
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