土浦市立上大津東小学校菅谷分校
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| 土浦市立上大津東小学校菅谷分校 | |
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| 過去の名称 | 上大津村立上大津東国民学校菅谷分教場 | 
| 国公私立の別 | 公立学校 | 
| 設置者 | 土浦市 | 
| 設立年月日 | 1914年(大正4年)12月 | 
| 創立記念日 | 6月25日 | 
| 閉校年月日 | 1986年(昭和61年)3月31日 | 
| 所在地 | 〒300 | 
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       茨城県土浦市菅谷町1051
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土浦市立上大津東小学校菅谷分校(つちうらしりつ かみおおつひがししょうがっこうすがやぶんこう)は、茨城県土浦市菅谷町にかつて存在した公立小学校の分校。
概要
1914年(大正4年)に開校した本分校は、開校当初は菅谷町の児童のうち1年生‐4年生までが分校で学んでいた。後に1年生‐3年生までとなり、4年生以上は沖宿町にある本校の上大津東小学校へ通学していた。
教室数は1つで、1‐3年生までを1人の教諭が受け持つ複式学級であった。運動会や学芸会などは、本校で行われていた。1924年(大正13年)入学の卒業生は後に、「先生が3年生の授業をしているときは1、2年生は自習をするのであるが、中にはその授業を見ていて、1年生のうちに3年生の読本を諳んじるものもあった。3年間に同じ事を3回勉強するというよい面もあったのである。」と述べている。
1986年(昭和61年)に、土浦市立菅谷小学校の開校に伴い本分校は、閉校となった。菅谷小学校の開校の理由としては、本分校の校舎の老朽化や、菅谷町の4‐6年生の児童の上大津東小学校の本校への遠距離通学の問題[1]などがあった。
年表
- 1914年(大正4年)12月‐上大津村立上大津東尋常高等小学校(本校の所在地は上大津村大字沖宿)の分教場として設立。
- 1941年(昭和16年)‐上大津村立上大津東国民学校菅谷分教場と改称。
- 1947年(昭和22年)‐上大津村立上大津東小学校菅谷分校と改称。
- 1954年(昭和29年)‐上大津村の土浦市への合併に伴い、土浦市立上大津東小学校菅谷分校と改称。
- 1986年(昭和61年) 
    - 3月‐土浦市立菅谷小学校の新設に伴い、菅谷分校は閉校。72年の歴史に幕を閉じた。
 
参考文献
- 山口行雄『回想七十年菅谷分校』1986年(昭和61年)私家版
- 土浦市史編さん委員会『土浦市史』1975年(昭和50年)土浦市史刊行会・土浦市
- 土浦市企画部広報課『広報つちうら・第448号』1986年(昭和61年4月4日)土浦市役所
脚注
- ^ “学校の概要 菅谷小学校建設の経緯”. 土浦市立菅谷小学校. 2022年6月12日閲覧。
関連項目
- 土浦市立上大津東小学校菅谷分校のページへのリンク

 
                             
                    


