体育局
(体育局 (文部省) から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 05:46 UTC 版)
体育局(たいいくきょく):
- 1913年(大正2年)の文部省官制改正で、それまでの視学官に代わり督学官(とくがくかん)が教育行政官として学事の視察・監督を担当していたが、1937年には外務省が満州国に「体育官」を置き[1]、1938年には文部省も体育官を設置して学校における体育訓練や教練などに関する事項を管掌していたが、これを文部省の内局とする体育局が1941年1月7日に設置された。1945年7月10日に学徒動員局設置に伴い廃止[2]。その後、再設置・再廃止ののち、再々設置され、文部科学省設立時にスポーツ・青少年局となった。現在のスポーツ庁の前身にあたる。スポーツ庁#沿革を参照。
- 体育会のこと。龍谷大学、帝京大学、岡山理科大学などで使われる。また、早稲田大学では課外体育の体育会と正課体育の体育部を統合して「体育局」としてたが、2003年に「競技スポーツセンター」に改組された[3]。
脚注
- ^ 第70回帝国議会貴族院予算委員第二分科会(外務省、司法省)議事録第5号(昭和12年3月28日)。1937年。
- ^ “体育局”. アジ歴グロッサリー. 2023年12月6日閲覧。
- ^ “概要・沿革・早稲田アスリート宣言”. 早稲田大学 競技スポーツセンター. 2023年12月6日閲覧。
- 体育局 (文部省)のページへのリンク