ロベール・ド・マルルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ロベール・ド・マルルの意味・解説 

ロベール・ド・マルル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 06:30 UTC 版)

ロベール・ド・マルル
Robert de Marle
ソワソン伯
マルル伯

出生 1390年
死去 1415年10月25日
配偶者 ジャンヌ・ド・ベテューヌ
子女 ジャンヌ
父親 マルル領主アンリ
母親 マリー・ド・クシー
テンプレートを表示

ロベール・ド・マルル(フランス語:Robert de Marle, 1390年頃 - 1415年10月25日)は、マルル領主(在位:1397年 - 1413年)、マルル伯(在位:1413年 - 1415年)およびソワソン伯(在位:1412年 - 1415年)。バル公の嗣子でマルル領主アンリとマリー・ド・クシー(クシー領主アンゲラン7世の娘)の息子。

生涯

父アンリはバル公ロベール1世の長男であったが、ロベール1世に先立って死去した。ロベール1世はアンリの長男ロベールでなく、自身の息子エドゥアール3世を後継者に選び、ポンタ=ムッソン侯位を与えた。これに対してロベールは不満を抱き、祖父ロベール1世を訴えた。最終的に、ロベールはバロワ(Barrois)およびポンタ=ムッソンを放棄する代わりに、多くの城を受け取ることで平和裏に解決した。1413年にマルル伯に陞爵したが、2年後アジャンクールの戦いで戦死した。

子女

1409年、モー子爵ロベール8世・ド・ベテューヌとイザベル・ド・ギステル(Isabelle de Ghistelles)の娘ジャンヌ(1450年没)と結婚し、1女をもうけた。ロベールの死後ジャンヌは後のリニー伯ジャン2世と再婚したがこの結婚で子供は生まれず、ジャン2世は継子を自分の甥と結婚させた。

参考文献

  • Georges Poull, La Maison souveraine et ducale de Bar, 1994.
先代
シャルル・ド・ヴァロワ
ソワソン伯
1412年 - 1415年
次代
ジャンヌ
先代
マルル伯
1413年 - 1415年
次代
ジャンヌ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロベール・ド・マルル」の関連用語

ロベール・ド・マルルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロベール・ド・マルルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのロベール・ド・マルル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS