レナード・ドビンとは? わかりやすく解説

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レナード・ドビン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/24 01:04 UTC 版)

レナード・ドビン (Leonard Dobbin、1858年7月30日 - 1952年3月3日) は、イギリス化学者で、化学史書や数冊の化学の教科書の著者でもある。謙虚で愛される人物として知られる。

人生

1858年7月30日にベルファストで生まれた。クイーンズ大学ベルファスト、その後ロンドンのカレッジ・オブ・サイエンスで学び、その後、ドイツ中央部のヴュルツブルクで博士号を取得した。その後、エディンバラ大学で、アレクサンダー・クラム・ブラウンの助手を務めた。1894年に講師、1924年に准教授に昇進した[1]

1881年にエディンバラ王立協会のフェローに立候補した。推薦人には、アレクサンダー・クラム・ブラウンの他、ピーター・テイト、ロバート・ミルナー、ウィリアム・ターナーが名を連ねた。70年以上にわたりフェローを続け、これは歴代のフェローの中で最長の一人となった。1939年から1942年には協会の副会長も務め、83歳で辞任した。ザ・アレンビック・クラブの幹事でもあった[2]

1900年には、ラヴォアジエの時代以降の化学史の発展に関するアルベルト・ラーデンブルクの講義を英語に翻訳した。

後半生は、南エディンバラにあるエディンバラ大学キングス・ビルディングス校の理学部近くに居住した[3]。1952年3月3日、エジンバラにおいて93歳で死去した。

主な論文

  • Lectures on the Development of the History of Chemistry since the time of Lavoisier (1900)
  • Salts and their Reactions (1904)
  • Medico-Physical Works (1907) with Crum Brown
  • The collected Papers of Carl Wilhelm Scheele (1931)
  • A Cullen Chemical Manuscript of 1753 (1936)
  • The History of the Discovery of Phosgene (1945)

出典

  1. ^ Journal of the Chemical Society: obituaries, 1952
  2. ^ Biographical Index of Former Fellows of the Royal Society of Edinburgh 1783–2002. The Royal Society of Edinburgh. (July 2006). ISBN 0 902 198 84 X. https://www.royalsoced.org.uk/cms/files/fellows/biographical_index/fells_indexp1.pdf 
  3. ^ Edinburgh and Leith Post Office Directory 1911-12



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