ルシリオ・デ・アルブケルケとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ルシリオ・デ・アルブケルケの意味・解説 

ルシリオ・デ・アルブケルケ

(ルシリョ・デ・アルブケルケ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 22:51 UTC 版)

ルシリオ・デ・アルブケルケ
Lucílio de Albuquerque
自画像
誕生日 (1877-05-09) 1877年5月9日
出生地 ブラジル、Barras
死没年 1939年4月119日(1939-04-119)(62歳)
死没地 ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ
テンプレートを表示

ルシリオ・デ・アルブケルケ(Lucílio de Albuquerque、1877年5月9日 - 1939年4月19日)は、ブラジルの画家である。

略歴

ブラジル北部、ピアウイ州のBarrasで、法律家の息子に生まれた[1]サンパウロの学校で短期間、法律を学んだ。1890年代半ばにリオ・デ・ジャネイロの国立美術学校(Escola Nacional de Belas Artes)に入学し、ジョアン・ゼフェリーノ・ダ・コスタロドルフォ・アモエドエンリケ・ベルナルデリらに学び、国立美術学校の留学奨学金が得られる賞を受賞した。美術学校の学生であったジョルジーナと結婚した後、1906年末に夫婦でフランスに出発し、5年間フランスに滞在した。 パリでは、アカデミー・ジュリアンで学びマルセル・バシェアンリ・ロワイエジャン=ポール・ローランスの指導を受けた[2]。10年ほど前にパリに留学したブラジルの画家エリゼウ・ヴィスコンティと同じようにアール・ヌーヴォーのデザイナー、ウジェーヌ・グラッセの指導を受けた。フランス芸術家協会の展覧会に出展し、評価された。

1911年にリオデジャネイロに戻り、国立美術学校で妻と展示会を開き、同じ年に国立美術学校で人物画を教え始め、1916年に教授の称号を得た。ブラジル全国美術展(Exposições Gerals de Belas Artes)では何度も賞を受賞した。1937年国立美術学校の校長になったが、1年後に健康の問題で辞職した[2]

多作の画家で風景画や肖像画を描いた。暗い色調の写実的なスタイルや印象派のようなスタイルなど、様々なスタイルの作品を残した。

作品

脚注

  1. ^ Biography and appreciation Archived 2014-11-02 at the Wayback Machine. @ Pitoresco.
  2. ^ a b Brief biography @ the Enciclopédia Itaú Cultural.

参考文献

  • Luís de Albuquerque, Lucílio de Albuquerque: exposicao retropectiva (Exhibition catalog), Museu Nacional de Belas Artes, Serviço Gráfico do Ministério da Educação e Saude, 1940



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ルシリオ・デ・アルブケルケのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルシリオ・デ・アルブケルケ」の関連用語

ルシリオ・デ・アルブケルケのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルシリオ・デ・アルブケルケのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルシリオ・デ・アルブケルケ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS