ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)の意味・解説 

ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 23:05 UTC 版)

ヨハン・ボギスラウ
Johann Bogislaw
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公
在位 1659年 - 1679年

出生 (1629-09-30) 1629年9月30日
シュレースヴィヒ公国、ノルブルク
死去 (1679-12-17) 1679年12月17日(50歳没)
シュレースヴィヒ公国、ノルブルク
埋葬 シュレースヴィヒ公国アルス島イーインデンマーク語版
家名 ゾンダーブルク家
父親 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公フリードリヒ
母親 ユリアーネ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク
テンプレートを表示
ヨハン・ボギスラウの眠るアルス島イーインの教会堂

ヨハン・ボギスラウJohann Bogislaw von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Norburg, 1629年9月30日 - 1679年12月17日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク家の第3代公爵。デンマーク語名はハンス・ブイスラウHans Bugislav)。

生涯

シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公フリードリヒと、その最初の妻でザクセン=ラウエンブルク公フランツ2世の娘であるユリアーネの間の唯一の子で、1659年父の死に伴い多額の負債を抱えた公爵領を相続した。

2人の異母弟は領国経営に関与できないことになったが、1659年1月19日に結ばれた相続協定により、異母弟たちの相続権に対する補償として穀物の現物支給による年金の支払いが取り決めされた[1]。継母のエレオノーレ・フォン・アンハルト=ツェルプストは、寡婦財産としてウスターホルム(Østerholm)城館と付属荘園を分与された。

ヨハン・ボギスラウは分有領主ドイツ語版身分であるがゆえに政治権力を持ちうる見込みはなく、封主のデンマーク王フレゼリク3世に完全に従属させられていた。このため1655年に始まった第二次北方戦争には、公爵領の負債を帳消しにしてもらうことを条件に、デンマーク王軍の下で戦争に参加することになった。1657年スウェーデン軍がノルブルク公領を占領・掠奪した。1660年にはデンマーク王軍がノルブルクを宿営地として利用した。さらにヨハン・ボギスラウはデンマーク王の戦費を調達するため領民に重税をかけ、王に対する徹底した恭順ぶりを示した。公爵領を犠牲にする政策はやがて立ち行かなくなり、公爵個人に対する領民の怨嗟の声が高まり、また王に対する融資資金の債務返済を債権者から求められるようになった。

1665年、居城ノルブルク城ドイツ語版で、失火により祖父ハンス若公の建てた三翼のハーフティンバー様式の居館が、城の財産目録とともに焼け落ちた。ヨハン・ボギスラウはこの出来事以降、もはや債務の支払いを諦めてしまう。1667年公爵家の破産手続きが始まり、1669年に完了した。公爵領はデンマーク王領に回収された。ヨハン・ボギスラウはノルブルクに残り、デンマーク王室からの僅かな年金を頼りに暮らした。1679年、未婚で子のないまま亡くなり、旧領地の一つだったアルス島イーインデンマーク語版教区共同体の教会堂に葬られた。

2人の異母弟はヨハン・ボギスラウが失った公爵領を取り戻すことはできなかった。ノルブルク公爵家の男系は、下の異母弟ルドルフ・フリードリヒの息子で皇帝軍の将軍だったエルンスト・レオポルトが1722年に死ぬと同時に絶えた。ノルブルク公爵領は1679年、同族のプレーン公ヨアヒム・エルンストの次男アウグストに与えられた。

参考文献

  • C. R. Rasmussen, E. Imberger, D. Lohmeier, I. Mommsen: Die Fürsten des Landes – Herzöge und Grafen von Schleswig-Holstein und Lauenburg. Wachholtz Verlag, 2008, S. 259–269.

引用・脚注

  1. ^ Ferdinand von Krogh: Beiträge zur älteren Geschichte des Hauses Holstein-Sonderburg. Berlin: Puttkammer & Mühbrecht 1877, S. 48
先代
フリードリヒ
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公
1659年 - 1679年
次代
ルドルフ・フリードリヒ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)」の関連用語

ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハン・ボギスラウ (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ノルブルク公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS