ヨハン・ジークヴァルト・ダールとは? わかりやすく解説

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ヨハン・ジークヴァルト・ダール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 04:01 UTC 版)

ヨハン・ジークヴァルト・ダール
Johann Siegwald Dahl
1902年代のジークヴァルト・ダール
生誕 (1827-08-16) 1827年8月16日
ドレスデン
死没 1902年6月15日(1902-06-15)(74歳)
ドレスデン

ヨハン・ジークヴァルト・ダール(Johann Siegwald Dahl、名はJohannesとも、1827年8月16日 - 1902年6月15日[1] )は、ドイツの画家である。動物画(家畜などのいる風景画)や肖像画を描いた。

略歴

ドレスデンで生まれた。父親のヨハン・クリスチャン・ダール(1788-1857)はノルウェー生まれの有名な風景画家で、1918年からドレスデンで活動するようになり、1824年からドレスデン美術アカデミーの教授を務めていた。ドイツ人の母親はヨハンの出産の後、亡くなった。姉のカロリーネ(Caroline)は1844年に後にノルウェーで大臣やオスロ市長になるノルウェー陸軍省の役人、Anders Sandøe Ørsted Bullと結婚した。

父親から絵を学んだ後、父親の学生であった動物画家のヨハン・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヴェゲナー(Johann Friedrich Wilhelm Wegener: 1812-1879)にも学んだ[2]

1851年には、イギリスの著名な動物芸術家のエドウィン・ランドシーア(1802-1873)の作品を研究するためにロンドンを訪れ、何度かパリでも修行した。1857年に父親が亡くなると、父親の習作や素描のコレクションを父親の故郷のノルウェーの美術館に寄付した。その後も姉がノルウェーに住んでいたこともあって、ノルウェーをしばしば訪れ、その風景を描いた。

動物画や風景画、肖像画などを描いた。1864年にドレスデンのアルテ・マイスター絵画館の名誉会員に選ばれた。

ジークヴァルト・ダールが影響を与えた画家にはフィンランドの画家フェルディナンド・フォン・ライト(1822-1906)がいる。

1902年にドレスデンで亡くなった。

作品

脚注

  1. ^ Benezit Dictionary of Artists, «Johannes Siegwald Dahl»
  2. ^ Alfsen, Glenny. «Siegwald Dahl». Norsk biografisk leksikon. Besøkt 11. juli 2019.

参考文献

  • Meyers Konversations-Lexikon, 4th edition, 1888-1890
  • Biography from Salmonsens konversationsleksikon @ Projekt Runeberg



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