ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エスの意味・解説 

ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 00:17 UTC 版)

ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エス
Jacob Foppens van Es
ヴェンツェル・ホラーによる肖像版画
誕生日 1596年ころ
出生地 アントウェルペン?
死没年 1666年3月11日(埋葬日)
死没地 アントウェルペン
テンプレートを表示

ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エス(Jacob Foppens van Es、1596年ころ - 1666年3月11日(埋葬日))は、フランドルの画家である。食べ物や花を描いた静物画を描いた[1]オシアス・ベールトクララ・ペーテルスと並んで、フランドルの最も早い時期の静物画を専門とする重要な画家とされる[2]

略歴

ファン・エスの生涯について知られていることは少ない。同時代の画家、ヨアンネス・メイセンス(Joannes Meyssens: 1612–1670)の下絵で、ヴェンツェル・ホラー(Wenceslas Hollar: 1607—1677)が版画にして出版されたファン・エスの肖像画にはアントウェルペン生まれと記載されているがそれを裏付ける証拠はない[2]。1617年にアントウェルペン聖ルカ組合に親方として登録されたが、それ以前に誰かの弟子として登録されていないことから、おそらく絵の修行はアントウェルペン以外で行ったのでないかと推測されている[3]

アントウェルペンの聖ルカ組合に登録された時点では結婚していて、ニコラースという息子がいて、この息子は1648年に聖ルカ組合に登録された。その他に3人の息子と、3人の娘がいて、最後の3人の子供の名付け親を有名な画家のヤーコブ・ヨルダーンス(1593-1678)やコルネリス・スフート(1597-1655)、デオダート・デル・モンテ(Deodaat del Monte: 1582-1644)が務めていることから、ファン・エスはアントウェルペンの画家たちの間で、有力な地位を占めていたと考えらている[3]

アントウェルペンで50年間に渡って画家として活動し、オシアス・ベールト(c.1580-1624)やクララ・ペーテルス(c.1594-1657)と同じようなスタイルで小さなサイズの食事の並んだ食卓を描く静物画である「朝食画(ontbijtjes)」などを描いた。ヤーコブ・ヒリス(Jacob Gillis)やヤン・ファン・ティーネン(Jan van Tienen)という弟子がいた。花の静物画や人物画の得意な画家、ヘンドリック・ファン・バーレンと共作で花環図(garland)も描いた。

1666年3月11日にアントウェルペンに埋葬された[1]

作品

参考文献

  1. ^ a b Jacob Foppens van Es op de site van het RKD-Nederlands Instituut voor Kunstgeschiedenis
  2. ^ a b Christine van Mulders. "Es, Jacob van." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 2 december 2023
  3. ^ a b Jacob van Es in: Frans Jozef Peter Van den Branden, Geschiedenis der Antwerpsche schilderschool, Antwerpen, 1883, p. 1108-1111



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エス」の関連用語

ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヤーコブ・フォッペンス・ファン・エスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヤーコブ・フォッペンス・ファン・エス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS