マヌエル・フリードリヒとは? わかりやすく解説

マヌエル・フリードリヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/18 03:14 UTC 版)

マヌエル・フリードリヒ
ボルシア・ドルトムントでのフリードリヒ (2014年)
名前
ラテン文字 Manuel Friedrich
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1979-09-13) 1979年9月13日(43歳)
出身地 バート・クロイツナハ
身長 189cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1992-1995 グルデンタール
1995-1998 マインツ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 マインツ II 55 (11)
1999-2002 マインツ 63 (8)
2002-2004 ブレーメン II 13 (2)
2002-2004 ブレーメン 1 (0)
2004-2007 マインツ 116 (8)
2007-2013 レヴァークーゼン 147 (11)
2013-2014 ドルトムント 11 (1)
2014-2015 ムンバイ 14 (1)
通算 420 (42)
代表歴2
2006-2008 ドイツ 9 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2008年2月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マヌエル・フリードリヒManuel Friedrich1979年9月13日 - )は、ドイツバート・クロイツナハ出身の元サッカー選手元ドイツ代表である。ポジションはDF

経歴

クラブ

ユース時代はSG Guldental 07に所属し、1995年に1.FSVマインツ05の下部組織に移った。1999年夏、ブンデスリーガ2部に属していたマインツとプロ契約し、2000年2月26日のエネルギー・コットブス戦でデビューした。1999-2000シーズンは5試合に出場し、2000-01シーズンからの2シーズンは合計58試合に出場した。2001-02シーズンは8得点を挙げた。

2002年夏、ヴェルダー・ブレーメンに移籍した。トップチームでは2003年8月23日のシャルケ04戦に出場しただけで、専らリザーブチームの試合に出場した。2004年1月、1.FSVマインツ05に復帰し、そのシーズンはブンデスリーガ2部で17試合に出場して4得点を挙げた。

2007年7月、3年契約でバイエル・レバークーゼンに移籍した。移籍金は約300万ユーロと推定されている。2007-08シーズンは開幕からレギュラーに定着し、32試合に出場した。シャルケ04ハンブルガーSVなどの上位勢から得点を奪って得点能力の高さを見せつけた。2008-09シーズンは若いDFエンリケとコンビを組み、30試合に出場して3得点を挙げた。2009-10シーズンはベテランのDFサミ・ヒーピアとコンビを組み、4位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。33節で最下位ヘルタ・ベルリンから奪った得点は、ヘルタのツヴァイテリーガ(2部)降格を確定させる結果となった。

2013年6月にレバークーゼンを退団、11月にシーズン絶望の怪我を負ったネヴェン・スボティッチの代役としてマインツ時代のチームメイトで恩師のユルゲン・クロップ率いるボルシア・ドルトムントに加入した[1]

2014年8月22日、インディアン・スーパーリーグムンバイ・シティFCと契約した[2]

代表

2006年3月、親善試合のアメリカ代表戦でドイツ代表に招集された。マインツから初めて選出されたドイツ代表選手であった。2006年8月16日、ゲルゼンキルヒェンで行われたスウェーデン代表との親善試合でデビューした。UEFA欧州選手権予選のサンマリノ代表戦では代表初得点を挙げ、マインツの選手としてドイツ代表で初めて得点を挙げた選手となった。

代表での得点

日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1 2006年9月6日 セラヴァッレ  サンマリノ 0–12 0–13 UEFA欧州選手権2008予選

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Goal (2013年11月21日). “ドルトムント、フリードリッヒ加入を発表”. 2013年11月21日閲覧。
  2. ^ 元ドイツ代表DF、インドのムンバイに加入 Goal.com 2014年8月23日付

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