デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)の意味・解説 

デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)

(デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/23 13:23 UTC 版)

初代クロフォード伯爵デイヴィッド・リンジーDavid Lindsay, 1st Earl of Crawford1360年ごろ – 1407年2月)は、スコットランド貴族。1390年の馬上槍試合でイングランドの第5代ウェルズ男爵ジョン・ウェルズ英語版に勝利して名声を得て[1]、スコットランド政界でもロスシー公デイヴィッド英語版オールバニ公ロバートに協力してバカン伯アレグザンダー英語版の影響力を牽制した[2]

生涯

サー・アレグザンダー・リンジー・オブ・グレネスク英語版と1人目の妻キャサリン(サー・ジョン・スターリングの娘)の息子として、1360年ごろに生まれた[3]。1382年ごろに父が死去し[2]、リンジーはグレネスクのバロン英語版領を相続した[1]

1380年代初に騎士爵に叙された[2]。元在スコットランドイングランド大使の第5代ウェルズ男爵ジョン・ウェルズ英語版が全スコットランド騎士に挑戦状を突きつけると、リンジーはスコットランド騎士の代表として挑戦を受け、1390年のゲオルギオスの日(4月23日)にロンドン橋で2人の馬上槍試合が行われた[3][4]。試合にあたり、イングランド王リチャード2世はリンジーにセーフ・コンダクトを与え[4]、リチャード2世自身も試合を観戦した[3]。試合ではリンジーがウェルズを落馬させたうえ、短剣をウェルズに突きつけて勝利した[4]。最後はウェルズを殺害することもできたが、それをせずにウェルズの身を起こし、2人で王妃アンに礼をした[1]。戦後、リチャード2世はリンジーに銀の杯を与え、リンジーはダンディーに寄贈をした[4]。また、リチャード2世の要請を受けてイングランドに3か月間滞在し、貴族の歓待を受けた[1]

1395年4月5日と1396年3月6日の間に従兄(伯父の息子)にあたる第9代クロフォード領主ジェームズ・リンジー英語版が男子をもうけずに死去すると、その遺産であるクロフォードのバロン英語版領を相続した[3]。また1397年6月と1398年5月の間に弟アレグザンダーが死去し、その遺産を相続した[2]

スコットランド政界ではロスシー公デイヴィッド英語版オールバニ公ロバートに協力してバカン伯アレグザンダー英語版の影響力を牽制した[2]。国王ロバート3世は王権強化の一環として[2]、1398年4月21日[1]パースで開かれたスコットランド議会において、リンジーをスコットランド貴族であるクロフォード伯爵に叙した[3]。1397年から1400年までイングランドとの講和にかかわり、1400年にはアースキン家が主張した、マー女伯イザベル・ダグラス英語版の死後にアースキン家がマー伯爵を相続する権利を支持した[2]

1403年10月までに(『オックスフォード英国人名事典』ではおそらく1401年就任とした)スコットランド海軍卿を務め、1401年12月にフランス王国との同盟を求めてパリに渡った[2]。このときフランスはイングランドと百年戦争を戦っており、クロフォード伯爵は1402年1月3日に主戦派の指導者オルレアン公ルイの部下になって、同年3月22日にはアルフルール英語版で主にフランス船で構成される艦隊の指揮官になった[2]。この艦隊はその後の4か月間、イングランド商船を25隻以上拿捕した[2]。1404年と1406年にスコットランド使節としてイングランド王国に派遣された[3]

1407年2月にフィンヘイヴン城英語版で死去、ダンディーグレイフライアーズ教会英語版に埋葬された[3]。長男アレグザンダーが爵位を継承した[3]

家族

1375年2月22日にローマ教皇の許可を得て、エリザベス・ステュアート英語版(スコットランド王ロバート2世と王妃ユーフェミア英語版の娘)と結婚[3]、3男をもうけた[4]。ユーフェミアの持参金としてストラスネアーン城英語版がリンジーに与えられたとされる[4]。ストラスネアーンからの収入は1382年にエリザベスの兄バカン伯アレグザンダー英語版に与えられ、リンジーにはその代償としてダンディーの関税収入が与えられた[2]

  • アレグザンダー(1387年ごろ – 1438年) - 第2代クロフォード伯爵[3]
  • デイヴィッド - ニュードスク(Newdosk)のバロン英語版、聖職者[4]
  • ジェラード(1421年以前没[4]

出典

  1. ^ a b c d e Henderson, Thomas Finlayson (1893). "Lindsay, David (1365?-1407)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 33. London: Smith, Elder & Co. p. 288.
  2. ^ a b c d e f g h i j k Cathcart, Alison; Ditchburn, David (23 September 2004). "Lindsay family (per. c. 1380–1495)". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/54265 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 507–509.
  4. ^ a b c d e f g h Paul, James Balfour, Sir, ed. (1906). The Scots Peerage (英語). Vol. III. Edinburgh: David Douglas. pp. 15–17.
スコットランドの爵位
爵位創設 クロフォード伯爵
1398年 – 1407年
次代
アレグザンダー・リンジー



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)」の関連用語

デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



デイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのデイヴィッド・リンジー (初代クロフォード伯爵) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS