ディーグの戦いとは? わかりやすく解説

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ディーグの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/10 05:48 UTC 版)

ディーグの戦いにおける双方の布陣

ディーグの戦い(ディーグのたたかい、英語:Battle of Deeg)は、1804年11月13日ディーグにおいて、ホールカル家イギリス東インド会社との間で行われた第二次マラーター戦争の戦いの一つ。

戦闘

第二次マラーター戦争中、バラトプル王国ディーグにはホールカル家とバーラトプル王国の兵が籠っていたため、イギリスはディーグへ進撃した。

1804年11月13日朝、イギリスとホールカル家・バーラトプル王国の連合軍はディーグ近郊で決戦に至った[1]。このとき、ヤシュワント・ラーオは居合わせていなかった。

この戦いの結果、ホールカル軍2000人以上の犠牲者を出して敗北し(イギリス側は640人)、そればかりか大砲87門が鹵獲されてしまった。

翌日、ヤシュワント・ラーオ自身はジェラルド・レイクの率いる軍勢とファッルハーバードで激突した(ファッルハーバードの戦い)。

出典・脚注

関連項目




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