チュニス旧市街のマドラサとは? わかりやすく解説

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チュニス旧市街のマドラサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/29 23:54 UTC 版)

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マドラサ・エル・オスフォーリーヤの内部

チュニス旧市街におけるマドラサハフス朝時代から存在している。マドラサはマシュリク地方と同形式をとり、一神教の布教や有能な職員の養成を目的として建てられた。マドラサの建設はオスマン帝国時代までかかったが、時代とともに役割が変化し、20世紀にはザイトゥーナモスク英語版で学ぶ学生の寮に成り代わり、学生住居マドラサと呼ばれるようになった。

ハフス朝時代

ハフス朝時代のスルタンらは、マドラサの建設に尽力したが、王女らや学者、分野で有識の者らも協力した。結果、学者らの集結を目的に、多くのマドラサが建設された。主要なハフス朝のマドラサは以下である。

  • マドラサ・シャマーイーヤ
  • マドラサ・タウフィーキーヤ
  • マドラサ・エル・オスフォーリーヤ
  • マドラサ・エル・マグリビーヤ
  • マドラサ・エル・マルジャーニーヤ
  • マドラサ・エル・ウヌキーヤ
  • マドラサ・エル・ムンタサリーヤ

オスマン朝時代

チュニス、マドラサ・ナクラの入り口

オスマン・トルコの到来に伴い、トルコ人らはハナフィー学派の普及を望みマドラサを建設した。これは17世紀ごろのことで、このころから多くのマドラサが建設されている。例えば以下二つがあげられる。

  • マドラサ・エル・アンダルスィーヤ
  • マドラサ・エル・ムラーディーヤ

フセイン・ベン・アリ(en:Al-Husayn I ibn Ali)時代に建てられたマドラサは以下である。

  • 大マドラサ・エル・フセイニーヤ
  • 小マドラサ・エル・フセイニーヤ
  • マドラサ・エル・ジャーミア・エル・ジャディード
  • マドラサ・ナクラ

アリー・バーシャー(en:Abu l-Hasan Ali I)は以下の4つのマドラサを建設した。

  • マドラサ・エル・バーシーヤ
  • マドラサ・スライマーニーヤ
  • マドラサ・ビイル・エル・アフジャール
  • マドラサ・エル・アーショーリーヤ

その後もマドラサの建設は続いた。20世紀に建てられたマドラサは以下である。

  • 大マドラサ・エル・ハビービーヤ(ムハンマド・エル・ハビーブ・エル・ベイの建設)
  • 小マドラサ・エル・ハビービーヤ(ムハンマド・エル・ハビーブ・エル・ベイの建設)
  • マドラサ・エル・ハムズィーヤ
  • マドラサ・サーヒーヤ

参照

  • محمد بن الخوجة، تاريخ معالم التوحيد في القديم وفي الجديد، تحقيق الجيلاني بالحاج يحي وحمادي الساحلي، دار الغرب الإسلامي، بيروت 1985.
  • محمد الباجي بن مامي، مدارس مدينة تونس من العهد الحفصي إلى العهد الحسيني، المعهد الوطني للتراث تونس 2006.
  • Ahmed Saadaoui, Tunis, ville ottomane, trois siècles d'urbanisme et d'architecture, CPU, Tunis 2001



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