ダニエル・ビエロフカとは? わかりやすく解説

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ダニエル・ビエロフカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 23:54 UTC 版)

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ダニエル・ビエロフカ
ダニエル・ビエロフカ(2007年)
名前
ラテン文字 Daniel Bierofka
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1979-02-07) 1979年2月7日(42歳)
出身地 ミュンヘン
身長 178cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1985-1993 SpVgg フェルトモヒング
1993-1994 SpVggウンターハヒンク
1994-1998 FCバイエルン・ミュンヘン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 FCバイエルン・ミュンヘン 47 (2)
2000-2002 TSV1860ミュンヘン 55 (7)
2002-2005 バイエル・レバークーゼン 78 (12)
2002 バイエル・レバークーゼン 1 (1)
2005-2007 VfBシュトゥットガルト 13 (0)
2006 VfBシュトゥットガルト 6 (0)
2007-2014 TSV1860ミュンヘン 131 (20)
代表歴
1999-2001  ドイツ U-21 22 (7)
2002 ドイツ 3 (1)
2002-2004 Team 2006 5 (0)
監督歴
2014-2015 TSV1860ミュンヘン (ユース)
2015-2016 TSV1860ミュンヘン
2016 TSV1860ミュンヘン (暫定)
2016 TSV1860ミュンヘン
2016 TSV1860ミュンヘン (暫定)
2016-2017 TSV1860ミュンヘン (コーチ)
2017 TSV1860ミュンヘン
2017-2019 TSV1860ミュンヘン
2020-2021 FCヴァッカー・インスブルック
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエル・ビエロフカDaniel Bierofka1979年2月7日- )は、ドイツミュンヘン出身の元サッカー選手であり、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF

ドイツ・ブンデスリーガ1部TSV1860ミュンヘンバイエル・レバークーゼンVfBシュトゥットガルトで初期のプロのキャリアを過ごす。バイエル・レバークーゼンでは、UEFAチャンピオンズリーグにも出場している。2002年にはドイツ代表として3試合に出場。2007年以降、故郷のTSV1860ミュンヘンに戻りプレーした後、2014年夏に現役を引退。引退後は指導者の道を歩み、2019年11月までTSV1860ミュンヘンの監督を務めたのち、2020-21シーズンFCヴァッカー・インスブルックの監督に就任。

選手経歴

クラブ

ユース時代

SpVggウンターハヒンクで1シーズンプレーし、1994年、FCバイエルン・ミュンヘンのユースに移る。1998年レギオナールリーガ・ズードに属するFCバイエルン・ミュンヘンのセカンドチームで初出場し、夏以降はレギュラーに定着。2000年までセカンドチームで計47試合に出場し、2得点を挙げた。

TSV1860ミュンヘン

2000年夏、TSV1860ミュンヘンに移籍。ドイツ・ブンデスリーガ1部に属するトップチームですぐレギュラーに定着し、2002年までに55試合に出場し、7得点を挙げる。さらに、UEFAチャンピオンズリーグの予選ラウンドに2回、UEFAヨーロッパリーグで5回、カップ戦に5回、それぞれ出場を果たしている。

バイエル・レバークーゼン

2002-03シーズン、バイエル・レバークーゼンに移籍。最初の2シーズンは試合に出続け、計62試合で11得点を挙げた。2004年秋、椎間板ヘルニアを発症し3か月の休養を余儀なくされる。バイエル・レバークーゼンでの3年間で、レギュラーシーズンのほかにDFLリーガポカールに3試合、ドイツカップに8回出場(2得点)。UEFAチャンピオンズリーグに9回出場。セカンドチームでも1試合出場し、1得点を挙げている。2005年夏、VfBシュトゥットガルトへの移籍が決まる。

VfBシュトゥットガルト

2005-06シーズン前のSSローブル・シエーナとの親善試合で果部骨折をする。合併症を繰り返し半年で12回の手術を受けなければならなかった。2006年3月25日にようやく、前所属クラブのバイエル・レバークーゼンとの試合を果たせたが、これが同シーズンドイツ・ブンデスリーガ1部での唯一の試合になった。その後、セカンドチームで6試合に出場。2006-07シーズンは、復活をとげ、ドイツ・ブンデスリーガ1部での優勝に貢献する。

再びTSV1860ミュンヘンへ

2007年夏、TSV1860ミュンヘンへ移籍。計7年間で131試合に出場した。2011年3月には19回目の足の手術を行っている。2013-14シーズンを最後に現役を引退した。

代表

1999年から2001年の間に、ドイツU-21代表として22試合に出場し7得点を挙げている。2002年5月、ルディ・フェラーによって2002 FIFAワールドカップに向けての代表候補に指名された。2002年5月9日、クウェート代表との親善試合でA代表デビューを果たす。2002年8月21日、ブルガリア代表戦で先発出場を果たしたが、代表での最後の出場となった。

指導者経歴

TSV1860ミュンヘン

現役選手生活を終え、TSV1860ミュンヘンU-16の監督に就任[1]。2015年2月、セカンドチームの監督に就任[2]。2016-17シーズン、トップチームがドイツ・ブンデスリーガ2部から降格し、なおかつ3部リーグのクラブライセンスを獲得しなかった後、チームの監督に就任する。4部リーグ(レギオナールリーガ・バイエルン)でプレーするチームはU-19の中心選手とセカンドチームの選手で成り立っていた。2018年5月5日、リーグ優勝したFCピピンスリートとのアウェイでの試合に3-0で勝利し、昇格プレーオフで勝利し、3部リーグへ昇格する。

2019年3月、ヘンネフ・スポーツ学校で2018年6月から始めていたサッカー指導者の養成課程を無事終え、指導者ライセンスを取得[3]

12年間共に過ごしたクラブに対し2019-20シーズンの3分の1にあたる第14節が終わった時、個人的な理由でトップチーム監督の契約解除を申し出る。

FCヴァッカー・インスブルック

2020-21シーズン、オーストリア・ブンデスリーガ2部に所属するFCヴァッカー・インスブルックの監督に就任。

2021年10月7日、解任が発表された[4]

タイトル

選手

VfBシュトゥットガルト

脚注

  1. ^ "Daniel Bierofka: Ich leide mit den Löwen". Abendzeitung. 30 December 2014. 2015年3月13日閲覧
  2. ^ "Bierofka übernimmt die „kleinen Löwen"". kicker.de. 18 February 2015. 2015年3月11日閲覧
  3. ^ Ende der Zweifach-Belastung: Bierofka erhält Fußballlehrer-Lizenz, liga3-online.de, abgerufen am 29. März 2019
  4. ^ “Trainerwechsel beim FC Wacker Innsbruck” (ドイツ語) (プレスリリース), FCヴァッカー・インスブルック, (2021年10月7日), https://www.fc-wacker-innsbruck.at/news/news-kampfmannschaft/4744-trainerwechsel-beim-fc-wacker-innsbruck.html 2021年10月10日閲覧。 

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