クリスチャン・チャーチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/20 21:57 UTC 版)
クリスチャン・チャーチ(Christian Church)は、アメリカ合衆国のプロテスタントの団体であるディサイプルス派から、1927年に分裂してできた教派である。
歴史
1776年のアメリカ合衆国の独立後に、18世紀末から19世紀初頭にかけてニューイングランド地方で第2次信仰覚醒運動が起こった。
その影響を受けた一人が、アイルランド系移民で、アイルランド長老教会の、トーマス・キャンベルである。1807年にキャンベルはアイルランドよりケンタッキー州に移住したが、アイルランドの長老派教会が他教派の会員に聖餐式を施すことを禁止した。キャンベルはアメリカの教会に従うことを拒否し、「教会は聖書に帰らなければならない。イエス・キリストの教会は一つである」という主張を展開し、トーマス・キャンベルと息子のアレクサンダーは1811年に長老派教会から分離することになった。
1813年にバプテスト教会(Redstone Baptist Association)と浸礼の点で共通してたので、一時、ディサイプル派はバプテスト教会に加わる。1827年に神学の相違により、アレクサンダー・キャンベルを指導者として、バプテスト派を離脱し、ディサイプルス教会を再建する。
ケンタッキー州の長老教会の人物のバートン・ストーンが、神学により長老教会から分離してクリスチャン・チャーチを形成した。後に、ディサイプル教会と1832年に合同し、この活動は「聖書復帰運動」(バートン・キャンベル運動)と呼ばれるようになった。
1900年初頭にディサイプル派から、チャーチ・オブ・クライスト派(無楽器派)[1]が離脱する。さらに、1920年代にディサイプルス派は自由主義の影響を受け、エキュメニカル的になる。1927年に「ディサイプルス派」から、福音主義の人々が分離して、「クリスチャン・チャーチ」(有楽器派)[2]ができる。
このように、ディサイプル派は、ディサイプルとチャーチ・オブ・クライストとクリスチャン・チャーチの三つに分かれている。
日本宣教
E・C・フライが1897年に来日し、宮城県、岩手県、栃木県などで伝道し、教会を形成する。
脚注
- ^ 日本では、キリストの教会(無楽器派)と四荒れ礼拝に一切の楽器を使用しない無楽器派である。1949年に宣教師らが茨城キリスト教大学を設立した。
- ^ 日本では、キリストの教会(有楽器派)と呼ばれ、大阪を中心に伝道して大阪聖書学院を創立する。
参考文献
- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
関連項目
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