ギー1世_(マコン伯)とは? わかりやすく解説

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ギー1世 (マコン伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/07 03:22 UTC 版)

ギー1世・ド・マコン
Guy Ier de Mâcon
マコン伯
在位 1002年 - 1004年
続柄 ブルゴーニュ伯相続人

出生 982年
死去 1004年
配偶者 アエリー・ド・シャロン(他ガティネ伯ジョフロワ1世娘とする説有)
子女 オトン2世
家名 アンスカリ家
父親 オット=ギヨーム
母親 エルマントルド・ド・ルシー
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ギー1世・ド・マコンフランス語:Guy Ier de Mâcon, 982年頃 - 1004年)は、ブルゴーニュ伯オット=ギヨームと妃エルマントルド・ド・ルーシーの長男。父からマコン伯位を継承。本来ならば、次代ブルゴーニュ伯となる人物でもあった。

生涯

982年ごろ、ブルゴーニュ伯オット=ギヨームとその妻ルシー伯ルノーの娘でマコン伯オーブリー2世未亡人のエルマントルドの間に生まれた[1]

その後986年ごろに、後述の実弟ルノー1世が生まれたとされる[2]

995年、父オット=ギヨームはギーをブルゴーニュ伯の相続人として指名し、権力を引き継いでいる。

さらに1002年にギーは父からの要請によりマコン伯位を継承しギー1世となったが、その2年後の1004年に死去した。

妻の名は明確ではなく、一説では母エルマントルドが死別した初婚の夫オーブリー2世と他の女性の孫にあたる名前不明の女性(ベアトリス・ド・マコンと初婚の夫がガティネ伯ジョフロワ1世の娘)とされ、もう一説では妻はシャロン伯ランベールの娘アエリーであったとされる。

ギーの死後は息子オトン2世[3]が、マコン伯位を実弟ルノー1世がブルゴーニュ伯位をそれぞれ継承した。

出典

  1. ^ "GUGLIELMO (Otto) di Ivrea" in MEDIEVAL LANDS、2022年8月6日閲覧。
  2. ^ "RENAUD de Mâcon" in MEDIEVAL LANDS、2022年8月6日閲覧。
  3. ^ "OTHON (II) de Mâcon" in MEDIEVAL LANDS、2022年8月6日閲覧。

関連項目

先代
オット=ギヨーム
マコン伯
1002年1004年
次代
オトン2世



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