イオアン2世 (キエフと全ルーシの府主教)とは? わかりやすく解説

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イオアン2世 (キエフと全ルーシの府主教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/04 03:51 UTC 版)

イオアン2世Иоан II , ? - 1089年頃)はキエフと全ルーシの府主教(在位:1076年 - 1089年)。ビザンツ出身。

経歴

彼がいつ府主教に就任したのか、正確な日付は不明である。ただし、1077年にはロストフ主教イサイヤを叙聖しているので、その時には府主教であったことがわかる。

1085年頃にはヴォルィーニ地方のヴォロディーメルに主教座を設置し、1088年にはトゥーロフに主教座を設置した。

1086年コンスタンティノープルにおける総主教座会議に出席したことが知られる。

1089年には、キエフ・ペチェルスキー修道院のウスペンスキー聖堂の献堂を行った。

同年に死去。1083年頃に、対立教皇クレメンス3世カノン法上の論争で数通の返答を書いた。


先代
ゲオルギー
キエフと全ルーシの府主教
1076年 - 1089年
次代
イオアン3世



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