アンヌ・ラスカリスとは? わかりやすく解説

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アンヌ・ラスカリス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/01 09:57 UTC 版)

リモーネ・ピエモンテで18世紀に制作された絵画に描かれたアンヌ
アンヌの印璽、1534年

アンヌ・ラスカリスAnne Lascaris, 1487年11月 - 1554年7月)は、仏伊国境地帯の小領邦タンド伯爵領フランス語版の女子相続者。

生涯

ヴェンティミーリアマーロプレラおよびマントンの領主でもあったタンド伯ジャナントニオ2世・ラスカリスと妻のイザボー・ダングルール=エトジェの間の娘[1]。系譜上はヴェンティミーリア家英語版の分枝ラスカリス・ディ・ヴェンティミーリア家イタリア語版に属する。

1498年2月10日にネブサン子爵ルイ・ド・クレルモン=ロデーヴと最初の結婚をするが[1]、まもなく死別した。

1501年1月28日にヴィラール伯ルネ・ド・サヴォワと再婚[1]。間に以下の子をもうけた[1]

  • クロード (1507年 - 1566年) - タンド伯、1561年よりソムリーヴ伯、プロヴァンス州知事(在任1525年 - 1566年)
  • マドレーヌ(1510年ごろ - 1586年) - 1526年フランス大元帥アンヌ・ド・モンモランシー公爵と結婚
  • オノラ(1511年 - 1580年) - ヴィラール侯爵、タンド伯、ソムリーヴ伯、フランス元帥、フランス提督
  • マルグリート(? - 1591年) - ブリエンヌ伯アントワーヌ2世・ド・リュクサンブールと結婚
  • イザベル(生没年不詳) - デュ・ブシャージュ伯ルネ・ド・バタルネー(アンベール・ド・バタルネー英語版の孫)と結婚、娘マリーはアンヌ・ド・ジョワイユーズ英語版公爵の母

男兄弟がいなかったため、1509年に父が死ぬと、夫とともにタンド伯爵領を相続した。1515年、モナコ領主リュシアンにマントンの所領を売却し、マントンは1848年フランス革命までモナコ公国に帰属することになった。

引用・脚注

  1. ^ a b c d Les manuscrits du C.E.D.R.E. – Dictionnaire Historique et Généalogique, vol. III. Le Royaume d'Italie, volume I. Cercle d'Études des Dynasties Royales Européennes (president, Jean-Fred Tourtchine), Paris, 1992, pp. 74-75. (French). ISSN 0993-3964.



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