アリックス・ド・ブルゴーニュ (1146-1209)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 07:16 UTC 版)
アリックス・ド・ブルゴーニュ Alix de Bourgogne |
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出生 | 1146年 |
死去 | 1209年 |
配偶者 | アルシャンボー・ド・ブルボン |
ウード・ド・デオル | |
子女 | マティルド |
家名 | ブルゴーニュ家 |
父親 | ブルゴーニュ公ウード2世 |
母親 | マリー・ド・ブロワ |
役職 | フォントヴロー修道院女子修道院長(1208年 - 1209年) |
アリックス・ド・ブルゴーニュ(フランス語:Alix de Bourgogne, 1146年 - 1209年)は、ブルボン領の継承者アルシャンボー・ド・ブルボンの妃。のち、フォントヴロー修道院の女子修道院長となった。ブルゴーニュ公ウード2世とマリー・ド・ブロワの娘[1]。
生涯
1164年、アリックスはブルボン領主アルシャンボー7世の息子アルシャンボーと結婚した。しかし夫は1169年に父に先立って死去し、アルシャンボー7世の死後にブルボン領は2人の間の一人娘マティルドが継承することとなった。
アリックスは娘マティルドとともに弟ユーグ3世の庇護下に置かれ、ユーグ3世は姪マティルドを自身の臣下のひとりであるサラン領主ゴーシェ4世・ド・マコンと結婚させた[2]。
アリックスは1171年ごろに、デオル領主エッベ2世とドニーズ・ダンボワーズの息子シャトーメイヤン領主ウード・ド・デオルと再婚した。
1196年、娘マティルドがギー2世・ド・ダンピエールと再婚した後に、アリックスは母マリー・ド・ブロワがすでに住んでいたフォントヴロー修道院に隠棲し、後にフォントヴロー女子修道院長に任命された[2]。しかし修道院長に任命されてから1年も経たないうちに、正式に就任することなくアリックスは死去した。
結婚と子女
1164年、ブルボン領主アルシャンボー7世とアニェス・ド・サヴォワの息子アルシャンボー(1169年没)と結婚したが、2人の間には1女が生まれた。
アルシャンボーの死後、1171年ごろにデオル領主エッベ2世とドニーズ・ダンボワーズの息子シャトーメイヤン領主ウード・ド・デオルと再婚したが、この結婚で子供は生まれなかった[3]。
脚注
参考文献
- Ernest Petit, Histoire des ducs de Bourgogne de la race capétienne, 1888.
- Louis-Auguste Picard, L'ordre de Fontevraud de 1115 à 1207, 1904.
- アリックス・ド・ブルゴーニュ (1146-1209)のページへのリンク