辛珍之 辛珍之の概要

辛珍之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/12 09:36 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

経歴

はじめは太尉鎧曹行参軍となり、次いで中堅将軍・司徒録事参軍・広州大中正に転じたが、喪に服すため官を辞職した。ほどなく汝北郡太守として再起した。永安年間、司空諮議参軍・通直散騎常侍となった。永熙年間、襄城郡太守として出向した。

534年天平元年)、大使となり、広洛二州の慰撫につとめた。536年(天平3年)、征東将軍の号を受け、行陽平郡事をつとめた。郡民の路黒奴に反乱を起こされ、郡治を攻め落とされて、その捕虜となった。右衛将軍の郭瓊が路黒奴の乱を鎮圧すると、珍之は解放された。

興和年間、衛将軍・司徒司馬となった。545年武定3年)、驃騎将軍北海郡太守に転じた。に召還されて、儀同開府長史・兼光禄少卿となった。ほどなく使持節・広洛北荊揚雍襄六州慰労大使・北荊鎮城・行広州事として出向した。行平州を命じられて、在官のまま死去した。驃騎大将軍・洛州刺史の位を追贈された。は恭といった。

子に辛懿があり、武定末年に開府鎧曹参軍となった。

伝記資料




「辛珍之」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「辛珍之」の関連用語

1
4% |||||

辛珍之のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



辛珍之のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの辛珍之 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS